週刊「ナビィ、の部屋」第48号
(2004.04.30 日々のつぶやき)
ハワイイ!!ハワイイ!!

ハワイイ!!ハワイイ!!初めてのハワイイ!!でも一泊だったんよねぇ、、、
ホノルル滞在時間多分3時間くらい、ワイキキビーチも見てないさ〜
ハワイイのお話、長いけど、素敵な出会いあったので読んでちょ〜ね
今回は急にピースボートに乗船する事になり、急な乗船にあたって高飛車なお願いをしました。
それはオプショナルツアーにある「先住民の村を訪ねる」ツアーに参加させてもらえる事
もうひとつは沖縄移民の唄者に会える様にどうにか手配してもらう事。
このちょ〜〜〜〜わがままを叶えてもらって、1日目に沖縄移民3世の沖縄民謡、古典師範 グラント村田さんにお会いする事が出来ました。

本当はラジオのDJをやってるうちなんちゅに会うはずになってて、日本からうちもファックスを送って連絡を取ろうとしてたんだけど、全然返事がなく、ピースボート側からも連絡してくれてたみたいなんだけど、上手く取れず、結局ハワイイの旅行代理店の方から村田さんを紹介してもらったらしいんだが、村田さんと連絡とれたのが、うち達がハワイイに着いた日、当日だった。
P 「日本から沖縄民謡とオリジナルを歌うグループ寿[kotobuki]っていう人達が移民した方のうたを聞きたいと言ってるんですが」
村 「いつ来るの〜?」
P 「今日です」
村 「いつまでいるの?」
P 「明日の夕方までで、明日は1日ツアーに出ます」
村 「あきさみよ〜今日しか会えないさ!!。僕は今日知り合いの誕生日パーティーで歌うから、そこに来るね?」
と、そんな会話があったらしい。
ハワイイのホテルに着いて、村田さんと連絡をとってくれたスタッフ、野平氏から言われたのは
「パーティに行って下さい」
だった。
世界広しと言えども、色んな人がハワイイに訪れてると言えども、ハワイイ着いたその日の夜に、全く見ず知らずの人の誕生日パーティーに、しかもお祝にではなく、余興を目的に出かける人もおるまい。
どんな人の誕生日パーティーかも判らず、しかし手ぶらもどうか?と思ってみんなで食べれる様なお菓子を近所のスーパーで買って行った。

行ってみると、見ず知らずのうち達が「本当に入っていいの????」って思わず聞きたくなるような立派なパーティー。
日系移民1世の御夫婦のお誕生日パーティーを息子さんが開いたもので、立派なホールで、孫のウクレレ演奏からはじまり、村田さんほかうちなー移民の方々の余興御夫婦の歴史を息子さんの素晴らしいギターの演奏と共に上映。
最後は二人でケーキのキャンドルを仲良く吹き消して、ケーキを皆に配ってくれました。
こころ温まる素敵な上等パーティーだったよ。
今どき日本の中で家族が一丸となって、友達が何十人も集って、こんな手作りの、なおかつゴーカなパーティをやってもらえる老人っているかな〜???
主賓のお二人も主催者の息子さんも、うち達が挨拶に行くと「来てくれて有難う、ゆっくりしてね」と歓迎してくれた。
このパーティの主賓のひとりであるお母さんは、ホノルルで沖縄民謡酒場を経営するほどの沖縄民謡好きの岩国からの移民1世だった。
その縁で村田さん一座が呼ばれて余興をしたんだけど、カチャーシータイムになるとカチャーシークイーンのおばぁや「嘉手久(かてぃく)やってちょうだい!!」とリクエストするおばさん、おじさんに混じって、主賓のお二人や他の日系人の方々も踊ってた。
ハワイイならではだな〜と、その光景を見て思った。
差別もあったと言ってたし、この一場面だけを見て断定は出来ないけれど、日系人、沖縄移民は外国の地で、こんな風にお互いの文化をカチャ-(かき混ぜる)しながら生きて来たのだろう、とそう思った。

ハワイイで聴く沖縄民謡はね、何かね、うちは涙が出そうになったよ。
最初に沖縄からハワイイへの移民が始まって100年が過ぎて、その間に日系人社会から差別もされ、戦争もあり、色んな事が沖縄移民にあっても島唄は絶える事なく、3世、4世へと歌い継がれている。

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