週刊「ナビィ、の部屋」第49号
(2004.05.08 日々のつぶやき)
ハワイイ その2
村田さんと別れて、その日はホテルを出て船へ移動。
ホテルの従業員もびっくり!!のショートステイ
昼12時にチェックインして、その日の夜10時にアウトだもん、、、そら驚くわ、、、
フロントのにーさん「ハワイイで何しますか?」
よほど怪しまれたらしい、、、、とほほ
翌日は船発の時間が早朝激っ早なので、とにかくその日のうちに船に移動しよう、という事になり、怪しまれつつもホテルを後にした。
翌朝はスクールバスに乗って、オアフ島、ワイアナエ山脈のふもとの村『マカハ』へ向かった。
そこでは、ジジ・コキーオというイタリアから来た神父さんを中心に、様々な事情で両親に育ててもらえない子供たちに学問、農業、そしてハワイイ先住民の文化を教える学校があり、そこで半日を過ごし、その後、『エリック・カアラ学習センター』というハワイイの伝統に基づいたやり方でタロイモを植えたり、伝統を伝えるためのワークショップを行う学校へ行った。
うちは飛行機で眠れなかった上にホノルルでもあまり休めず、しかも、雨がふって寒かった事もあって、この日はかなり体調が悪かった。
しかも出発ギリギリまで眠っていたので、朝ごはんも食べれず、最初の『マカハ』の学校に着いた時はかなりダウナーで、意識も〜ろ〜な感じだったので、実はあまり重要な話しを覚えていないんです。
でも、うちの大好物のココナツの身をもらった時は、地元のおねーさんに「食べ過ぎじゃない?」と心配されるほど、たらふく食べてかなり回復した。
『マカハ』で、地熱を利用した『ラウラウ(包む)』という料理を頂いた。
それはタロイモの葉でとり肉や芋を包んで、そのまま袋に入れて地中にいれるという今まで生きて来て初めて出会った、びっくり調理法の逸品だった。
「ここ何日か雨続きだからうまく出来てないかも??」と言って地中から取り出したるその中身は、、、、、、
火を使っていないとは思えないほどの、ほくほくの温かいジューシーなチキンだった。
ありゃ〜〜美味しかったねぇ、、、
その後、ココナツの葉を使って、目にも止まらぬ早さで編み上げるおじさんや、トンガから来て手伝ってる素敵な南国美人のお姉さんのお話や、神父さんの案内で農場を見学したりした。
コキーオ神父はユーモアの人で、農場や栽培方法の話しをする時も必ずジョークを飛ばしていたけど、ハワイイに来る前はフィリピンの先住民の村にいてやっぱりスペイン、アメリカの支配や腐食政治の中でアイデンティティーを傷つけられ、自らを尊い存在だと思えなくなくなった人達を支援していたらしい。
マルコス政権で彼らの様な立場の人は国外追放になり、その後ハワイイへやって来てこの様な学校を作った信念の人だ。
でも、「僕って偉いでしょ〜?」みたいな所もなく、訪れた人達をリラックスさせてくれる優しい人だった。
お話を聞いて農場を一通り見た後は、体育館でランチと子供達の芸能大会と交流タイム〜
お昼頃になってやっと太陽の光りが強くなって来た。
何の木だか解らなかったけど、木々の向こうに体育館があって、そこに向かって歩いてる時、何故か西表島でライブした大原の公民館を思い出した。
大きなワイアナエ山脈から雲が沸き上がって雲になってゆく。
なんだかとても懐かしい光景だった。
このツアーにタヒチから乗船した、タヒチ先住民の『ガビ』も参加していた。
前回のクルーズでタヒチに行った時、お世話になった人だ。
ガビに「タヒチみたいね」と言ったら、「ホノルルは人がいっぱいで頭が変になりそうだったけど、ここはいい〜タヒチみたいで落ち着く〜」と言っていた。
西表島、タヒチ、そしてここ。
山は雨を受け止め、水蒸気が雲となり、また恵みの雨を降らせる。
山の水は川となって、海につながる。
自然の循環、めぐみを感じる光景。
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