もうすぐ旧正ライブやしぇ!
(2015.02.16 日々のつぶやき)
人は祈る時、自分の中の神聖な部分に触れるからか、とても神妙で研ぎすまされているように思います。
やり方や祈りの対象が違ったとしても「自分の聖域を感じる」という意味では皆、同じなのではないかと思います。
小さな聖域が一斉に祝詞を上げたり、手を合わせたりするんですからその聖なるパワーは尋常ではないと思います。
そのようなパワーに触れると人は心が動く、例え異教徒でも。
そして、そのパワーがあまりにも圧倒的であるが故に怖れる人もいると思います。
人間の歴史の中で、幾度となく宗教が弾圧され利用されるのはその圧倒的なパワー故にという気がします。
話しがそれましたが、この日もモスクで礼拝を見学させて頂きました。
先導者の声が響き渡り神聖な空気が満ち満ちているドームの中、礼拝が始まる前はドーム内の写真をバンバン撮っていた人達も、殆どの人が撮るのを止め静かに祈りの場を見守っていました。
とても穏やかな時間を過ごしました。
ちょうど帰宅したらニュースでデンマークでの銃撃戦についてのニュースを見ました。
何故、あのような事件が起こるのか?その背景にあるもの。
下山さんのお話で知った事ですがイスラム教では唯一神”アッラー”を祀る事は禁止され、偶像も肖像画もありません。
ムハンマド(モハメッドとも言います)は偉大な伝道師で人間です。
神でさえも偶像化しないのだから人間である伝道師(預言者と言ってますが)を偶像化するなどという事はあり得ないのだそうです。
だから、フランスやデンマークの新聞社の異教徒が『風刺画』としてムハンマドの肖像画を描いたりする事はイスラム教徒にとってはイスラム教世界の中の指導者達でもやらないような事を平気でやってのけている、非常に屈辱的で不愉快極まりない行為なのです。
だからと言って多くのイスラム教徒がテロ行為を望んでなんていないのです。
私の友人にもムスリムはいますが、一部のムスリムがテロを起こす事を嘆き哀しんでいます。
そして、「彼らのような行為がますますムスリムへの理解を遠ざける」と苦しんでもいます。
下山さんの言葉にも同じような言葉がありました。
イスラムの教えの中に「一人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである」という言葉があり、その教義からすれば彼らの行為は完全に間違っているともおっしゃっていました。
「けれども、我々は何故テロが起こるのか、テロに至る過程、引き起こす感情とはなにか?を良く考えなくてはならない」とも言っておられました。
その言葉は深く共感しますし、同時に、『テロリズムとは何か?』という事もよくよく考えないといけないと思います。
テロは決してマイノリティーだけが起こすもの狂信的な人間が起こすものを指すのではなく、政府や国家、『国民の信認を得ている』と豪語している人達が起こしているものも指すという認識を持たないといけないのではないかと思います。
私達が本当にムスリムによるテロを怖れるのであれば、その『恐怖』という感情を引き起こす『未知』を無くす努力をした方がよいと思います。
下山さんのお話を伺いたい場合は事前に連絡をした方が良いと思いますが、モスク内の見学だけであれば日の出から日没までモスクの空いている時間ならいつでも見学自由だそうです。
東京ジャーミィー以外にも東京の大塚、お花茶屋、千葉の行徳、名古屋、神戸にもモスクはあるそうなので事前に連絡して是非行かれてみると良いと思います。
最後に、エントランスには在日ムスリム達が湯川さん、後藤さんが誘拐され人質となった時、毎日の礼拝で無事を祈っていた事を知った日本人からの感謝の手紙やお花が置かれていました。
それに対する東京ジャーミィーからのメッセージもありました。
このようなツアーに参加する人もお花や手紙を送ってくる人も日本人の中のわずかな人数かもしれないけれど、例えば礼拝の時の写真を撮るのをやめるなど、私は昨日『日本人の良心』に触れた気がとってもしました。
無意識ではあっても、そこにはイスラムの挨拶のようなお互いの平和を思いやる心と同じ心があるように思いました。
とてもいい一日でした。

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