冬の独白大放出
(2012.12.11 日々のつぶやき)
やっぱり私にとって夫の発病〜危篤〜手術、そこから在宅になるまでの1年半は、一体何が起きているのか?この先どうなるか解らない闇のようなもので人生で最大の恐怖の体験でしたが、その体験は全く癒されないままだったので、もっと恐ろしい事が起こるのか?これ以上酷い事になるのか?なったらどうしようという恐怖がず〜〜〜〜〜っと、今に至るまで続いていたのでした。
私は夫の母親になったかのような気持ちでいましたが、その部分については私は、暗い道で迷子になり助けを求めてずっと泣いている小さな子供でした。
その子供の存在にやっと私自身が気が付き、その子供を救ってあげれるのはやっぱり私自身しかいなくて、その子の涙に共感し恐怖を理解し解放してあげようとやっと決心しました。
夫も、確かに自分で出来る事は殆どなくなってしまったけれど、でも、彼自身の人生を切り開く事は彼にしか出来ない。
私の恐怖で出来上がった眼鏡で彼を見続ける、その世界の中に閉じ込める事は、それこそ『愛』とは相反する行為である事にもやっと気が付きました。
障害を負っても何でも、彼自身の人生を切り開く力を彼自身がちゃんと持っていると信じれずにいましたが、それが一番『愛』のない行為であったと思います。
もっと早くこの事に気が付いていたら離れて暮らす決心などしなくても良かったのに、、、、と又しても恨めしく思ったりもしましたけど、私はやっぱりこの道しか歩けなかったし、『愛もなかったくせに一体何を守りたかったんだろう?』と自嘲したりもしたけど、必死でやって来た5年間だったけど、その必死がなかったら、実際に私達夫婦は生きて来れなかったし、この事に今、気が付けた事が私達夫婦の歩いた道、軌跡なんだと思います。
自分を愛する事が一番大事だと、散々歌って来たのに、私に一番足りてなかったものが自分への愛でした。
本当に恥ずかしいっす!!
話しは飛びますが、とめどなく涙が溢れる日々だったバリでの修行の中で、先生とのレッスン中、今まで体験した事のない感覚を得ました。
先生と向かいあって踊っていると何やら氣の玉のようなものが現れ、二人でそれを動かしているというような感じ。
それはとても気持ちが良くて、先生も同じ感じを得たらしくにやっと笑って「ナビィ、それだよ、それそれ、もう一回やろう!」と言ってました。
それが一人の先生との間だけではなく、3人の先生との間で起こり、どの先生もやっぱり同じようににやっと笑って、「もう一回やろう!」と言いました。
今までも氣の玉はあったし、それが動く感覚はあってだから踊る事が楽しかったんだけど、その時のはそれとは全く別もので、自分の肉体というものが溶けてなくなって何かと一緒になって膨大に大きくなるような感じでした。
踊りのレッスンではあったけれど、その一瞬で私はこの20年近くライブ活動を通じて培った『歌う』という身体を使った表現行為というものはこういうものだという概念や信念をぶっ壊されました。
自分の中に新しい種が蒔かれた感じがしました。
夫の事で悩みどんよりしていた自分の中に『可能性』という光が差し込んで来ました。
でも、その『溶けて自分が果てしなく大きくなる感じ』は数年前の旧正月ライブで感じた事があり、私はそれを舞台に立っている間中感じ続けていたいと、それが自分の本当の望みである事を忘れてしまっていたのでした。
このような2つの大きな出来事があり、自分の人生を再チャレンジをしたいと思うようになり、やるならやっぱり一番やりたい事をやろう!と思ってバリ行きを決めました。
お任せはしたものの、夫の両親は高齢だったり、実家の事やら、半年もライブしないでお金はどうすんの?帰国しても皆に忘れられてるかもよ〜とか、、、、
心配の種はありますが、もう1回、ひとりになって、夫も、そしてずっと助けてくれていたミーツーニーニーも居ない世界に身を置いて自立して、そして『このタイミングでこの状況』なんだからそれを信じて頑張ります。
今までお世話になった皆様、また8月以降から宜しくお願い致します〜〜〜〜
とても尊敬している先輩とこの一連の話しをした時、「愛から選択し、愛から行動しなければ自分も他人も傷つける」と言われ、でっかいトンカチで頭を殴られた思いでした。
「でも、今、どんな状況に陥ったとしても、愛から選択し直し、愛から行動をし直せば、その先には『愛』で満ちあふれた世界を築く事が出来る」とも言われました。
夫が2年近くお世話になったディサービス施設の連絡帳の職員さんとのやり取りを読み返すと、『愛がなかったくせに』と思ったけれど、そこには私からの、職員さんからの夫への愛が沢山詰まっていました。
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