Archive for 2012年06月

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ちょいとお薦め本

本当は今日は首相官邸に大飯原発再稼働反対デモに行くつもりだったのだが、結局行けずでした。
参加された方、お疲れ様です。
世界でも初めての地震による原発事故という大惨事を経験し事故が起きてしまえば誰も責任のとりようがないほど大変な事になる事を知ったはずのこの日本。
本当に安全なのかどうかも解らないのに再稼働。

事故を頻繁に起こしてるオスプレイも「安全性に問題なし」とか何とか言ってたけど???
この人達の言う『安全』って何?

増税法案に端を発した民主党の分裂騒動も、何だか色んな方向から日本をぶち壊そうとしてるとしか思えないこの頃。
結局、政治家、官僚の利益のためなんだろうけど、政治家、官僚以外の国民が「こんな国に住んでられるかい!」って亡命したらどうすんのかな?
税金を払う人もいなくなったら彼らの利益ってどうやって捻出されるのかなぁ?


最近、昔、古本屋さんで買ったのにあんまり真面目に読まず、引っ越しの度に売ろうと思いつつ何故か売らずにいた『楽しいお金』という本を超大真面目に読んだ。
めちゃくちゃ面白かった!!
買ったばかりの時には余り理解出来なかったんだろうけど、今の自分にぴたっとハマったんですなぁ。
売らなくて良かった!!というか、後々読む事になっていたんだね。
全てタイミングというものがあるんだね、やっぱり。

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楽しいお金と書いてあると、うっかり『楽して金儲け』と勘違いしそうだけど、決して、こうすれば3日で儲かるとか風水で宝くじが当たるとか、そういう類いの本ではありません。
お金という交換のツールをどう考えるかという内容なんだけれど、とどのつまり『お金の問題は生き方の問題』って事なんだなと、そう思いました。

章の最後にその章に書かれていた事に対して自分はどう思うか、自分ならどうするか?などありのままに書くというゲームがあるんだけど、それをやってみると、問われている事はお金の事なんだけど答えは結局、自分自身をどう見ているかという事になるんですな。

それと、お金が必要でお金があったらあれもこれもしたい〜とか夢が広がるねぇ〜なんて思ってるくせに、同時に「お金を持ち過ぎると政治家みたいに腐る」という信念も持ってたりして、、、、、
政治家がと限定までしなくても大概の人達がお金持ち=悪代官
多分、悪い事してお金儲けしてんだろうな〜というような想念は持ってると思うんですけど、、、、
ちょっと笑えましたけど、お金ってものやお金持ちにいいイメージを持っていないという事も気がつきました。
自分が解るとでもいいましょうか、、、、
そして、自分が支払った、使ったお金は廻り回って自分に何らかの形で戻って来るというのも良く解った。


この本を読んでちょっと考えたのが、「お金を持ち過ぎると政治家みたいに腐る」という信念が政治家を腐さらせるのだろうか?という事。
もちろん、うち一人の想念で腐らせているという意味ではないですよ。
そのお金に対するダーティーなイメージが多くの人達の想念としてあり、この国に蔓延していると仮定してですけど。

うちの支払った税金は少ないだろうが政治家の給料になるわけで、「きちんと私達国民のために働ける人だと信頼しているから税金を収めるんです」と、そんな想念を持って支払うとお金も政治家も腐らないんだろうか?


自分が歌ったり踊ったりして楽しんで得たお金を楽しい事に使いたいと常々思って生きて来たけど、おおよそ楽しい事とは思えない(納税だとか、、、)事が、廻り回って楽しい事として自分に返って来る事をイメージを持って使う、支払う事がお金による問題を解決する事になるような、そんな気がしました。


面白い本です。どうやら中古でしか流通してないようですけど、興味がありましたら是非〜
次のライブは七夕ですわ〜
笹の葉の準備は万全らしいです!!
皆様、ロマンチック(笑)な夜を共に過ごしましょ〜













   

高江に富山に

しばらく全然更新してなかったですけど、この間のライブにお越し下さいました皆様、
有り難うございました。
そして、関係者、スタッフの皆様、お疲れ様でした〜

『ゆんたく高江』は来場者が1000人を越えました。
組織の力でもなくこれだけ集まったのは本当に凄い事だなと思います。
みんな、素晴らしい!!

うちは、ジンタラムータのライブ中で突然アドリブで歌った(というか叫んだ)時に放った自分の言葉に数日考えさせられました。
それは「平和を我らに、平和を私に」というものだったのですが、確かに日本は内戦もなくどこかと戦争もしていないし、こんな歌を歌っても処刑もされないし、平和と言うべきなのかもしれないけど、改めて今のこの日本の状況が私にとっては平和であると諸手を挙げて言えない、感じられていないという事を改めて思い知りました。


富山のライブは今年で2回目、東別院での沖縄戦慰霊の日を思うピースコンサートでした。
御仏さまの前では嘘はつけね〜なぁ、、、と思ったわけではないけれど、飾らない寿[kotobuki]らしいコンサートだったように思います。
お越し下さった皆様、遠路はるばる石川からはいつも石川県ライブを企画、主催して下さる皆様、岐阜からもお越し頂き、有り難うございます。
別院の皆様も有り難うございました〜
お疲れ様でした〜

打ち上げの2次会で「ジャカルタ」というジャカルタから来た女性がママをやってる普通のスナック(笑)へ行き、インドネシア語で話しが出来て楽しいではあったけど、グラスが空になったら速攻、水割りが作られ次から次へと付だし(と言っても全部お菓子だが)が出る、一体幾ら取られるんじゃ??という恐怖も味わい、1時間しない内に店を出たのでした。
恐ろしや〜〜〜〜〜普通のスナック!!

翌日は石川のヤマさんとめちゃうま、富山のイタリアン『Cibo』でランチ。
うま〜〜〜〜〜〜い!!
自家製のパンもうま〜〜〜〜〜〜〜い。
ヤマさん、連れて行ってくれて有り難うじ〜〜〜
そして、帰りにお土産に富山名産 紀雅(のりまさ)の鱒寿司を頂きました!!

う〜〜〜〜〜〜ぬ、うまいのです。
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重ね重ね有り難うじ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ところで、最近、うちはだいぶ心に変化があり、やはり心と体は繋がっておるなぁ〜と思うのだけど仙骨がすごく柔軟になって踊りが楽になって来た。
何で最初に柔らかくなる箇所が仙骨?かは謎なんだけど、「柔らかくなったなぁ〜〜〜」と自分でなでなでしてみたりすると、何となく、前へ進む準備が整ったという事なのかなと思って来た。
ずっとこだわり、許せずにいた事を手放せたのよ、わたくし。

「別に毎日ストレッチやってんだから柔らかくなってんじゃないの?」って見方もあるんだろうが、うちはそう思わないんだなぁ〜〜〜〜

バリ舞踊家の先輩 廣田幸恵さんの言葉に『身体は記憶の器』というのがあって、これは廣田さんの著書『マナ・スカラ・ニスカラ』の結びの一文にある言葉。


股関節が、みぞおちが、首が、など身体の何処かが硬いというのは何かブロックがあるのかもと思っていたせいかもしれないけれど、この言葉を読んだ時、腑に落ち、いつも心に引っかかって、引っかかり続けてバリ舞踊という身体の探求みたいな事を続けているような気がする。
やっと最近その成果(?)が実ったらしいよ〜
わ〜〜〜〜〜い!!長かったわ、この道のり!!


人間は恐ろしく頭を良く使う生き物で、頭で自分というものを知っていると思っているように思うけれど、実は心や身体の方が自分の真実を知っているのではないかなと思う。

うちの場合は許せないと思っている感情の根源、その感情を持つに至ったと思い当たる出来事やその時どんな魔法を自分にかけて制限を加えたかが、バリで自問自答しているうちに解って、「それもこれも全部許す!!だってこだわってても幸せになんないも〜〜〜〜〜ん、手放しま〜す」と決めたら、次の日のレッスンから急に柔らかくなりましたの、仙骨が、、、、、
ほほほ。
先生もびっくり!!
「どうしたの?」と聞かれてもそんな難しい事を答えられるインドネシア語能力はないので「マジック!!」と笑って誤摩化した。

自分ヒーリングの細かい内容は恥ずかしいから秘密だけど、多分、誰にでもあり得る事だと思うので、身体に聞いてみるといいはず〜

多分、大事な事は、答えは自分の中にあると信じて自分と向き合う事 もしくは向き合う気になるという事だと思う。
引っかかる人は是非、お試しあれ〜〜〜〜〜〜
廣田さんの言葉のつづき、最後の一文はこうあります。
『ひらけばひらくほど、生きる事が豊かになります。』


ではでは〜〜〜〜ん。






   

お知らせ

前回のブログでお知らせしましたが、7月7日(土曜日・七夕)に横浜 馬車道のイケメン揃いのお酒も料理も美味しいBar”ファーイースト”でライブします〜
ファーイースト(JR関内駅徒歩5分/みなとみらい線馬車道駅徒歩5分/日本大通り駅から380m)
20時頃から チャージ1000円+オーダー
詳細 045-663-8129

そういえば、去年、オーナーのみつよしくんもちょうどバリに居て、車で1時間半くらい離れている海側の町から呼び出し、一緒にウブドのサルの森の近くのイタリア風レストランで食べて飲んだわね〜〜〜〜〜
彼のおごりで〜おほほほ〜
あの時ゃ〜ありがとね。

せっかくの七夕なので短冊書いてみんなでお願いを叶えましょ〜
ハッピーな夜を共に過ごしましょ〜
来てね〜

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(七夕と言えば、彦星と織り姫さまって全然違います!!バリの彦星と織り姫?それも違うなぁ〜〜〜〜〜)

   

ちょいと感動!!

梅雨入りしましたね〜
去年の震災以降、こうして季節が毎年変わりなく巡って来る事が有り難いな〜と思うようになりました。
寒い寒い冬も雨がじめじめの梅雨も好きな季節ではないけれど、好きではなくてもこうして何事もなく季節は巡る事は奇跡のようなものだなと思います。


ところで、サッカーなんぞにゃ〜全く興味がないのだがついさっき朝のニュースワイドショーでこの間連勝したらしい日本チームの分析をやっている時に『本田選手の怪我からの見事な復活!!』みたいな、うち的に心を揺さぶるようなテーマだったので興味深く見ました。

半月板を損傷して9ヶ月も休養を余儀なくされ、リハビリにいそしむ日々を抜けて復活したそうなんだけど、彼は休養中のインタビューのコメントなんかでもさかんに「ニューボディー」とか「新しい体」というような言葉を口にしていて、先日の試合の後のコメントで「怪我をした時点で自分は新しくなっていた」という、これはものすごいメッセージを発しておられました。
皆しゃん!!!これはすごい言葉ですわよ!
うちは猛烈に感動しました。

怪我や病気にはマイナスのイメージしか持てないけれど、病気も怪我も自分からのメッセージでそのメッセージが体から発せられるという事は自身が「今のままでは嫌なんだ。変わりたいんだ!新しくなりたいんだ!!」と猛烈な要求をしているからなのではないかと思う。
心が体を使って「変化の時ですよ」ってサインを送ってるのだと思う。
昨日と同じ自分でいる必要はないのですよ、っていう事ですね。

本田選手は本当にメンタルの強い人なんだろうからわずか9ヶ月でそこまで思える人は(自分も含めて)なかなかいないとは思うけれど、本田選手の言ってる事は正しいと思う。
そして重要なのはその転機を『新しくなる時』だと捉える事が出来るか、その気持ちを貫けるかというところにあると思う。

そして

自分が参加出来なくても世界の至る所でサッカーの試合なんで散々やってるわけでそんな中でサッカーの出来ない自分を責め続ける事は簡単な事。
勝手な想像だけれど、不安につぶされそうになったり自己嫌悪に襲われたりする日もあっても彼にはその状況を楽しむ事が出来たのかもねと思う。
だから楽しめるって事が一番重要なんだなと改めて思ったのでした。
想像ですけど、、、、、、想像なんだけど、いくらメンタルが強くても楽しむ事が出来なかったら1年のほとんどをけが人で過ごす事なんて出来ないと思うので、多分当たってるはず。

あぁ〜素晴らしいなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ワールドワイドな世界に生きてる本田選手の背負ってものの大きさに比べたら、かなりスケール小さいけれど、うちも最近、「ずっと同じ事をやる必要は無い」って事に気がついて相当楽になりました。
もうこのやり方を、考え方を持ち続ける必要はないと解っても自分にとって慣れ親しんだそれを止めるには勇気が必要だ〜〜とずっと思っていたけど、勇気なんぞは必要なく気がついたら既に手放してるもの同然でした。
な〜〜んの事やら、、、、の話しになっちゃいましたが、またいつかまとまったら改めて書きましょ〜

急に決まりましたが7月7日の七夕に横浜・馬車道のイケメンぞろいの素敵な素敵な『ファーイースト』でライブをする事になりました。
短冊持って来て下さい〜
詳細はまた。


ではではまたね〜



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(2日の教会でのチャリティー公演の終演後、何故かロビー受付前で撮影。子どもの発表会の写真を撮るように嬉々として撮ってくれたちあきさん、ありがとう〜〜〜〜
本番、相当楽しみました!!ガムラン奏者の皆様、関係者の皆様、有り難うございました〜〜〜〜〜〜〜〜)




   

なんだろうなぁ〜〜

今日のニュースで15年前の渋谷東京電力OL殺害事件の犯人として収監されていたネパール人男性の再審請求が認められたというのを散々見た。

えん罪事件のニュースを観る度に思うんだけれど、例え無罪が確定したとしても収監され犯人にされ裁判に費やした時間は帰っては来ない。
1年や2年でもかなり辛い時間のはず。
それが10年を越えるとなると、、、、、、
それは立派な人権侵害なのではと思う。
検察は異議申し立てをしたらしいが信じられない。
もちろん、謝罪なんてホイホイするような組織ではない事は解るけれど、人の人生をむちゃくちゃにしたという自覚はないんだろうか?


それに、うちのような一般市民は裁判ってものは真実が明かされるものだとぼんやりと信じているが、こんなに頻繁にえん罪事件が起こるようでは、一体裁判ってものが何なのかが解らなくなる。

さっさと全ての証拠品のDNA鑑定をしていれば真犯人も捕まっていたかもしれないと思うと、被害者の家族の15年も虚しい時間であっただろうと思う。
一度疑ってしまった外国人は何が何でも真犯人にしておかなければという検察のメンツの問題なのか?それとも真犯人が見つかってはいけないのか?
どちらかは知らないけれど、誰も幸せにしないこの司法ってなんだろうなぁ〜