Archive for 2010年07月

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島の恵み その2

今度は宮古島からマンゴーが届いた。
しかも2個。
あぁ、有り難や〜
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マンゴーってば、宝石の様にツヤツヤ、キラキラ〜
写真の通りチェブちゃんも食べたそうだけども、うちとヨーイチ先生でムシャムシャ食べました。
有り難う〜葉子さま。

葉子さまは岐阜の人で、農業がやりたくて宮古・来間島の無農薬栽培のマンゴー農園の研修に行き、そこで砂川さんと(というか来間島はほとんど砂川さん)出会い、結婚し、今は夫婦二人で農園やってます。
白いゴーヤーとかも作ってますサイガ(多分使い方違うはず)

『来間島 徳さんちのごうら畑』
http://kurimajima.web.fc2.com

白いゴーヤーはピクルスにしても美味でした。


昨日の夜は、洗濯したヨーイチ大先生のタオルケットだけを取り込み忘れ(悪意なし)、屋上の物干場に上がったら、空の模様がまるでオキナワだった。

那覇市宇栄原の赤嶺アパートの2階に住んでおりましたが、その部屋のベランダから夜の南部の海が見えていました。
もちろん、昼間も見えてますけどね。

風が気持ち良く、月の光も甘くて気持ちいい夜は、ついつい、ベランダに出て、瓶のオリオンをラッパ飲みしながら何時間もぼ〜〜〜〜っと、その夜の海を見るのが好きでした。

暗い夜の海と空の堺は昼間よりもおぼろげだけど、その堺目から雲が濛々と生まれ、風に流されて走って行く光景は、爽快で、何故かうちの胸をわしづかみ「あぁ、いつまでもこの光景を見ていたい」と思っておりましたが、何故なのかは良くわからん。


オキナワは真っ昼間、明る過ぎて影が出来る。
クラクラするくらい暑くて明るいのに、影があって、時々ぞくっと肌寒くなる瞬間がある。
そんな時は夜の雲を眺める時の爽快さとは違って、何か、とてつもなく寂しい気持ちになり、どこへ行っても自分は迷子の様で「どうして、この島はこんなに寂しいんだろう?」と思ったりもしていました。


随分昔、那覇の飲み屋で隣同士になったおじぃさんとそんな話をした時、「昔、オキナワは昼間は暑過ぎて、暑過ぎて外では働けんかったよ。でも、毛遊び(夜に月の下で男女が合コン(?)する、昔の風習)とかで判る様に、夜は外で遊んだりするんだよ、夜の方が優しいからね」と言っていた。

何となく、判る気がする。
昼間が暑過ぎて外で働けないのは、南の島ならどこでも一緒と思うけど、ただ、オキナワの夜は、何かいい匂いがする。そして、風も光も優しい。
「優しい」という言葉は本当に的を得てると思う。
だから、ついつい外へ出たくなるんだはず。






昨日の阿佐ヶ谷上空の光景は、まさに赤嶺アパートで夜な夜な感じていた気持ちと同じ気持ちにさせる空でした。


2重生活でさかんに那覇に行ってた頃、あの頃は「どうやって生きて行ったらいいのか判らない」ってのが最高潮だった気がする。

でも、どういうわけか、あの頃の自分の人生への問いの答えがばっすん、ばっすん、返って来たのもオキナワだったから、迷い道ク〜ネクネ〜♪しながらも、「う〜ん、この先に行けば更にまた何かが見つかるはず」と思って、那覇通いしていたのではなかろうかと思う。


何故か、こんなに遠く離れた阿佐ヶ谷で、あの頃の自分とオキナワをまざまさと思い出し、ニヤニヤしてみたりした夜でした。


17日(土曜日)は、中野チャンプルーフェスタです。
今年はサンプラザ前のステージの終了時間が早くて、寿[kotobuki]はトリですが、出演時間は17時〜17時25分となっとります。
要注意でございます。

そして、わたしくめが主宰しております、『島唄クワッチー』さんが18日の14時から歌います。
ダンサーズなしの、唄のみ直球勝負ですたい。
ハマリヨ〜ヤ〜
お時間ありましたら両日共、聴きに来て下さいまし〜

ではでは、つれづれ日記を読んで下さり有り難うございました〜













   

これおもしろいです。

http://mainichi.jp/select/seiji/eravote/10votematch/etc/
あさっては選挙です。
参考になさってみてはいかがざんしょ?

   

ヨーイチタワー建設中

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どんどん高く積み上がっておりまする。

因みに、タワーの土台、これは食事用のテーブル。
なので、ご飯を食べる時はいちいち、この山積みの本、いや、ヨーイチタワーの解体工事をしてから、食器を並べ、食事をし、テーブルを拭いたらまたタワーの建設が一から始まるという、毎日を繰り返しております。

本当にこれがストレス溜まるわけですが、いちいちヒスを起こしても自分が疲れるだけなので、これは儀式だと思う様にしました。
そしたら、まぁ、あんまりイライラもしなくなりました。

うちは、「食べる」という事がかなり人生の中で重要で、自然のものを感謝してっていうのが一番の理想ですが、楽屋のお弁当とかはそうもいかないし、移動中駅弁って事もあるし、めんどくさいからデリバリーのピザってのもあるし、でも、どんなものでも命を頂いてるんだから、それがどんなものでも感謝して、良く噛んで、ゆったりと食べたい!!って人なんですが、この状況になってからはテーブルから降ろした本に囲まれ、しかも全部降ろすと落ち着かなくなるので、小さいタワーはテーブルに残しておかなければならず、本当にものすごい圧迫感があり、「何で、自分の家でご飯を美味しく食べたいのに、こんなに狭っくるしい所で食べにゃ〜ならんのか?」と思ったり、自分の信念とか「食事=命を頂く事」と思う神聖な気持ちを蔑ろにされている様な本当に悲しい気持ちになり、MAXヒステリーで「うおりゃ〜〜〜」と本をぶん投げた事もしばしば。

でも、「本が大好き、宝物」のヨーイチくんの本を(っても半分くらい、うちの本なんだが)ぶん投げるのは本当に良くないと思い、でも、イライラが止まらないし、どうすればぁあああああ〜〜〜〜〜〜と本気の真剣に悩んでおり、一時、それで食事の前には胃が痛くなったりもしておりました。

が、なんちゅうか、やり続ける事の大事さ?っていうの?
言っても、本をぶん投げても相手はしら〜んぷり。
何だか知らないけれど、強い信念をお持ちの様ですよ。
なので、こっちがオレました。


まぁ、ヨーイチくんがお泊まりしてる時なんかは、家でも外でも味わって食べれるわけだしね。

高く積み上げたタワーの中から、本を取り出し、何やら満足気に読んでいる姿や、解体した本をテーマに沿って(多分)並べ替え、積み上げている姿は愛らしい。

毎日、毎日、せっせとやり続けるその作業、それに何の意味があるのかは、うちにゃ〜さっぱりわからないけど、うちだって、他人様から見たら、「何でバリ島の踊りなんかに一生懸命になるの?」って思われてたりもするんだろうし、そんな事は結局、本人が判っていればいいことなんだろうなと思う。

彼にとって大切な時間を、大切にしてあげにゃ〜いかんなと、しみじみ感じたこの頃です。





今日は、午後に足立区にある福祉施設で、旧正月ライブと同じメンバーでライブをして来ました。
久しぶりの8人でライブそのものも楽しかったけど、前の方で聴いていた人達が、時々「うぱぁ〜〜〜〜〜」と口を開けて、天使みたいな顔で笑っておられたのがすごく愛らしく、それでまたテンションが上がって、上がって、最後はダンス大会になりました。

あ〜楽しかったなぁ〜

職員の皆さん、利用者の皆さん、音響さん、お疲れさまでした〜
お世話になりました、有り難うございました。


家に戻ったらヘルパーさんと二人でお留守番していたヨーイチくんは、あまりにタワーを高く建設し過ぎて、テレビが見えなくなり、背中を丸めてものすごく腰が辛そうな体勢で無理矢理、本の合間からテレビを観てました。
お〜〜〜〜〜〜〜い、そんな時や〜解体しろや〜

「一生懸命、本を積まれてましたよ。」とヘルパーさん。
そりゃ〜言われなくてもわかるさ〜朝より倍くらい高くなっとるもんね。
こうなったら、ドバイをめざせ!!ヨーイチ。


そんなわけで、明日は王子の「ほくとぴあ」で、コーラスのパンダねーさんが、幼少の頃、大ファンで追っかけていたという、あいざき真也氏と対バンで歌って来ます。
お時間あります方、是非お越し下さいな〜

ではでは、またライブで会いましょう〜






   

今、生きているということ

この2日の間に、3人もの知人の訃報が届いた。

2日前、バリダンスの先輩が亡くなったと連絡があった。
癌を患い、ここ数年、入退院を繰り返しておられた。

若すぎるし、早すぎる。


もう一度踊りたかっただろうな。
バリへ行きたかっただろうな。
本人だって悔しくてたまらないと思う。

言葉も出なくなって、どんよりしながらヨーイチくんのお世話をしていたら、今度は友人のお母さんが亡くなったと連絡があった。

職場で寿[kotobuki]のライブを開いて下さったり、寿[kotobuki]の応援をして下さっていた方だったけど、やっぱり癌で、ここ数年、ずっと闘病生活だった。

転移を繰り返していたし、抗がん剤の副作用や体力が落ちた事で色んな病気も併発されて、本当に辛かった事と思う。

どこも痛くない。
どこも苦しくない。
そんな生活をもう一度取り戻せたらと思わずにはいられなかった。

今日、また知人の訃報がメールで届いた。

デング熱という蚊を媒介にした感染症が原因らしい。

今年に入って、知人が5人も亡くなった。
そんな事は今まで経験した事がない。


人の生死を分ける、その境目は何なんだろう?

病気の痛みや苦しみから開放され、魂は自由に、どこへでも、生きたい場所へ、戻りたい時間へ。
そうであって欲しいと思う。



彼女達は亡くなり、今、うちは生きているという事。
この事実。
何事もなく一日が終わり、何事もなく新しい朝が迎えられるという事。
それは奇跡の様なもので、「生きている」というのはその奇跡の連続なのかもしれない。
だから、その奇跡の瞬間はとても尊くて愛おしいものなんだと思う。


自ら命を絶たなくても、いつか命の炎は消える。
尊い、愛おしい、その奇跡の瞬間、瞬間に感謝。


それぞれの命と出会いに感謝。
ご冥福をお祈りします。


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