Archive for 2009年06月

RSS Feeds

大丈夫なのかぁあああああああ?

この間、ニュースで、借金をされた少年に「かつあげでもひったくりでもして金を作って返せ」と脅し、実行させた少女が捕まって「悪い事だとは思わなかった」と言ったと聞き、この様に思った次第です。
「悪い」と思って欲しい、おばさんは。


まぁ、大分色んな事が割愛されているだろうから、少女だって本当はもっと色んな事を言ったのかもしれないが、、、、、
なんかな〜大人のやってる事を子供達はコピーしてるわけよね、、、、
大人としてつくづく情けなくなるオイラです。
大丈夫かぁあああああ?
我々大人

てなわけで、最近「大人」ってなんじゃろか?と考える。

旦那くんが入院した数々の病院で、「こいつ本当に大人か?」と思う様な子供じみた医者もいたし、
看護士、介護士さんでもやっぱり人のケアーをするって仕事は、その相手から信頼を得ようとしないといかんのじゃないか?と思うんだけど、その真逆を行ってる人も多数遭遇したし、
一生懸命ヘルプしてもらってるのに罵詈雑言浴びせてる患者さんもいたし、、、、、

とお〜〜〜〜〜〜い宇宙から自分が今いる病院を見た時(いや、それくらい意識を遠のかせてという意味なんだがね)あんまり幼稚園とかと変わらない感じがしたなぁ〜
いや〜幼稚園の方がまだ無垢な愛が溢れているハズなぁ。


「大人」って何か?をあまり考えず、お金を得る事、家族を養う事、家を買う事、、、、、
そんな事が「大人の証明」と思ってしまって生きて来たんじゃ〜なかろうか?我々。
それはそれで、間違いではないとは思うけれど。


子供達がうち達を見た時、うち達は「大人になるってこういう事なんだよ」といういい模範になれているのでしょうか?
思いやりに満ちている
許し、許される信頼関係を築き合っている
老いて行く楽しみを知っている
愛を持って仕事をしている
そんな人達に映っているのでしょうか?


自分に子供がいてもいなくても、どんな時代でも、「大人」であるという事は子供の鏡になっているという事ではないでしょうか?
せめて、そんな事を無自覚で暮らして行きたくないなぁ〜と思ったりするこの頃です。



(バリの様な心地良い空間で裸足でゴロゴロしてました。荻窪某所にて)









   

ハードディズ!!

石川ツアー楽しかった!!美味しかった!!
いや〜いいライブになって本当に良かったよぉ〜
お越し下さった皆様、企画して下さった皆様。
本当に有り難うございました。
石川ではいつもいつも寿[kotobuki]にぴったりの『場』が用意されていて、うち達はただ自分を出し切ればいいライブで、、、、
こんな風に愛されている事は本当にミュージシャン冥利に付く幸せな事だと思っています。
本当に有り難うございます〜


して、23日の『慰霊の日』のライブにお越し下さった方々。
有り難うございました。
あんまりにも人が入り過ぎてご迷惑をおかけしましたし、終演後もゆっくりお話、ご挨拶も出来なくてすいませんでした。

この日はゲストで来て下さった与那覇百子さんのご接待も、わたくし担当致しました。
開演前に一緒に日本蕎麦屋さんへ行き、食事をしましたけど、ここでの話をみんなに聞いて欲しかった!!
やっぱり30分という限られた時間の中で話てもらったので「まとめよう」として下さったのかもしれないなぁ〜
話して下さった内容は基本的には会場で話をした事とあんまり大差はないんだけど、まとめようとしていない事で伝わって来るものがすごくあった。
これを、どうにか皆に伝えたい!!と思って空回りした部分もあったかも、、、、
いつもは自分が聞かれて答える事が多いので、うまく引き出しを開けれなかったかもしれないなぁ〜
反省だなぁ〜


でも、観に来てくれた『アースマンシップ』のなおさんが、「ナビィの話良かったよ〜」と言ってくれ(他にも居ました、そう言ってくれた方!!有り難う〜)「生と死」について深い話が出来て、それも良かった。

して、昨日は三線サークル『島唄クワッチー』の稽古日。
して、今日はエレキバンド編成のリハーサル第2回
石川からほぼ毎日歌いまくりのハードディズです。

エレキリハは昔の寿[kotobuki]の曲をレコーディングし直すっていう企画のやつですが、ちょ〜〜〜〜〜〜〜カッコいいですわ。
ドラムはたっくん。
ベースは一度一緒にやってみたかった『桃梨』のJIGENにレコーディングだけ手伝ってもらう事にしました。
昔の寿[kotobuki]はサイケデリックやったんやね〜。
にーにーのギターの爆音がスゴ過ぎてまだ耳がごーごー言ってます。

9月にレコーディングも決まり、わくわくです。
でも、この時期もちょ〜〜〜〜〜ハードディズ。
何と9月の中旬に韓国でのライブが決まり(やった〜!!)、韓国から直行で石川県小松でライブをし、東京に戻ってすぐやからね〜
夏の疲れが溜まらない様に気をつけねばのぉ〜

てなわけで、皆様、お疲れさま。
うちもお疲れさま、今日も一日良く頑張って偉い!!
おやすみなさい〜



   

難しい、、、、、

今日、『脳死は人の死である』と国会で承認され、それに関連した報道をニュースでやってるのを観た。

「臓器移植法法案」に関連する特集をここ最近頻繁にテレビでやっていたので特に新しい「情報」を知る事はなかったけど、やっぱりこういう番組を観る度に本当に複雑な気持ちになる。


自分はやっぱり「脳死」を「死」とは思えない。
医療の介入によって生きてるのかもしれないけれど、それでも、体温があり、発汗があり、爪が伸びたり髪の毛が伸びたり、、、、
子供の場合は身長も伸びるとか、、、、
そんな話を聞くと「やっぱり『死』っていうのは全てが止まった時だろう」と思う。
そして、例えば、身内が「脳死」と判定され、臓器移植の話が出たとする。
「誰かがこの人の死を望んでる」と思ったら、相当へこむと思う。


でも、自分に子供がいて、渡航するだけでもリスクが大きいであろう渡米なんかしなくても国内で手術が受けれて臓器移植さえすれば、この子に未来があるかも、と思ったらやっぱりそれを望むだろうなと思う。

「臓器移植」に関しては、貧しい国の特に子供が臓器売買の対象になっている事も深刻な問題だと思う。
その問題がある国に住んでる人達は多分、生まれつきに臓器に疾患があっても「臓器移植」なんて受けれないと思う。
先進医療のある先進国の人間が臓器を求めていて、そして、そんな事など無縁の貧しい国の人達の臓器は闇の世界で取引されている。
何かがおかしい。


とにかく、本当に難しい問題だと思う。
やっぱり「命を操作する事」は何というか、神の領域みたいなものなんじゃないかと思う。
だから、色んな立場を越えて、その事に対しての畏怖とか、自分達の能力を越えた事をしようとしているという自覚の様なものは持っていないといけないんじゃないかと思う。
それと、その権限を握ってる人、例えば医者とかが「愛」を持ってその事に当たって欲しいと願う。
「脳死」と判断するにしても、「臓器移植」を進めるにしても。
自分の出世とか、利権とか、名誉とか、そんな事のために進めるのではなく、そこに関わる全ての「なす術もない」人達に対して「愛」を持って対応して欲しいと、そう思う。


ところで、掲示板にも書きかましたけど、23日の吉祥寺『曼荼羅』での『慰霊の日』のライブに
元「ひめゆり学徒隊」で、映画『ひめゆり』でも証言された与那覇百子(よなはももこ)さんに急遽出演をして頂く事になりました。
与那覇さんは「命の話」をされる人です。
短い時間ですが、沖縄戦についてや、戦時中にどんな思いも持っていたのか?色んなお話をして頂く予定です。
お時間ありましたら、是非是非お越し下さい。



3人にひとりの民間人が死んだと言われる沖縄地上戦。
その中を生き抜けたというのはまさに奇跡だと、うちは思います。
「生と死」を分けたものは、紙切れくらい薄い偶然だと思います。
その奇跡の人達が出会って子供が生まれ、奇跡の命が続いています。
でも、それは沖縄だけの話ではなく、この全世界、殺戮だらけの歴史の中で、生き抜けた事は奇跡で、その奇跡の命の末裔と奇跡の様な出会いを繰り返しているのが「人生」の様な気がします。
祖父母や両親、そして沖縄で知り合った年配の方々の戦争体験を聞き、うちも、あなたも、そして世界中の人達も、「奇跡の命」である事を感じました。
戦争を忘れてはいけない理由のひとつは、豊かな、この日常で忘れてしまう「命は奇跡である」という事を思い出させるからかもしれません。


さて、明日はいよいよ小松のライブへ出発です。
構想2年。
本当に実行委員の皆様、有り難うございます。
「やって良かった!!」と心底思ってもらえる様、頑張りま〜す。
それから、マクロビオテックのお菓子も作りました。
『ドライフルーツのスコーン』と『ココナッツバナナケーキ』を何と販売します。
買ってね〜
して、お口に合わなかったらすいません〜
今のうち謝っておきまする。
ではでは、またね〜










   

心地良い〜〜〜〜〜〜〜♪

昨日の「ゆんたく高江」にお越し下さった皆様方、して、実行委員の皆々様
有り難うございました。
おいら、耳鼻科に行って炎症を起こさない予防をしたはずなのに、何故????と思うが、
風邪の残りか咽頭が腫れ、頭、首周辺に熱が籠ってて会場についた時はも〜〜〜〜〜だるくて死ぬんじゃ〜ないかと思ったけど、歌ったら顔と首から汗がバーバー出て、帰って寝たらかな〜〜り良くなりました。
しかも、むっちゃ楽しかったです、ライブ。
有り難や〜〜〜

実行委員の中にも風邪っぴきさん結構いて、皆喉か鼻をやられてましたな〜
皆様もご自愛下さいませ〜




デトックス週間だった先週、テレビはやっぱりうるさくてかなり身体にキツいのでずっとジャワのガムランを聴いてました。
バリはやっぱり激しいなぁ〜
バリにも、アンクルンとかサロンとか、先住民の村「トゥンガナン」のガムラン、スロンディンとか、激しくないのもあるんですけど、気分はジャワ。
いや〜〜〜〜気持ちいいっすわ〜これ。
最近は、バリのガムランばっかり(しかも踊りの練習曲ばっかり)聴いてて本当に5年ぶりくらいに聴いたけど、永遠の名盤ですな〜

ソロの宮廷音楽なんですけど、なんちゅうかすごいのよね〜ハーモニーが。

クラシック音楽をついつい音楽の最高峰の様に思ってしまいがちだけど、やっぱりどの民族も「音楽」や「踊り」に関しては、すごくどん欲で、「美しい」と思えるものを結集させたものなんだろうから、それはどこのものが一番いいとは誰にも言えないものの様な気がする。
やっぱり「民族音楽」もすごいよ。


だるくてゴロゴロしながらこのCDを聴いてたら、何故か沖縄でひと月暮らした時の事を思い出した。
半月、西町にあるすんごい安宿に居た時、隣が琉球舞踊の道場で、昼間に琉球古典音楽が聞こえて来て、すご〜〜〜〜〜く心地良く昼寝しておりました。
その時の感覚にすご〜く近くなって、心地よくウトウト。
はぁ〜気持ちいいっす。


紅型の原型はジャワ更紗って話もあるし、ジャワの宮廷舞踊と琉球宮廷舞踊はな〜んとなく精神性が似てる様な気もする。
人間性は???どうなんだろう???



そんなわけで昨日は三線になりきってみました。ウヒヒ



ではでは、またね〜

   

ひまし油湿布

梅雨入りです。
風邪をひいて2日ほど寝まくりました。
あんまりにも耳が痛いので耳鼻科に行き、職業が歌手だと言うと「喉の炎症が酷くならない様に、1日に2回薬を喉に塗りにおいで〜」と言うので朝と夕方耳鼻科へ行った以外はほぼ寝てた。
48時間で起きてたの多分8時間くらい、、、、、
「良く寝れるな〜」と自分でも感心。
そんなワケで昨日は「クワッチー」の皆さん、ご迷惑おかけしました。


風邪ひく前日にバリダンスの男踊り猛稽古をし、汗っかきのオイラはレッスン後の着替えは総取っ替えなんだけど、髪の毛の襟足あたりも汗ばんでたね〜そう言えば、、、、
「まぁ、いいや」と思ってそのまま、雨上がりの高幡不動駅でパンダねーさんと電話してたね、、、、
まぁ、その前から夜は暑くて気がつきゃ〜布団を剥いで寝て寒くて目が覚めたりとか、あったね。

風邪をひく暮らしぶりしてたわけね。


んだども〜最近、鍼灸師の友人の薦めで『ひまし油湿布』というのをやってみた。
もしかしたら、それで排毒が始まって風邪ひいたのかもな〜とも思う。

『ひまし油湿布』ってのは、なんでもアメリカ人のエドガーケイシーっていう人が発見して広めたらしい。
うちは、昔「エドガーケイシー療法」の本もちょびっと読んでみた事もあるが、まぁ、特に病気もないってのもあるだろうけど、飛びつくほど興味もなかったなぁ〜
(ケイシー療法には、異議を唱える人もいるけれど、うちも信奉者でもないのでひまし油湿布以外はお薦めしていいものか?どうかわからないけど、「何故この人はこの病気になるのか?」という考え方には共感するものがあるな〜と思う。)


やしが!!!!これが、気持ちいいのなんの。
身体が「気持ちいいっす、これ〜」とふにゃ〜として来るのがわかります。
興味がある方、是非ネットで調べてやってみてちょうだいな〜



紹介した「テンプルビューティフル」のサイトで紹介されてるスターターキットを買わずとも、代用出来るものもあるので、直接肌に触れるもの「ひまし油」「フランネル」だけ買ってもいいみたい。
うちも鍼灸師の友人からその2つと油もれ防止のパットを買っただけ。
彼女は薬局でレンジで温めるホットパックを買い、温熱ヒーターの代用にしている。
うちは我が家には電子レンジがないので貼らないカイロで代用。
湿布後にオリーブオイルを飲むってのも、うちはやってません、はい。
お白湯は飲みますけど。

湿布で温めるのが肝臓を中心に胃腸や腎臓の一部という事もあって、やっぱり消化器官にはものすごくいい効果がある様です。
日本語には「肝心要」というのがあるけれど、肝臓と腎臓のこの2つの臓器は消化器官の中でもすごく重要な臓器である事、身体の要である事を昔の人は知っていたんでしょうなぁ〜
漢方薬局で処方してもらう時、よく『氣、血、水のバランスを整える』と言われますが、水を流すポンプ=腎臓 血を流すポンプ=肝臓と考えると、やはりその2つの臓器がバランス良く、上手く動いてこそ氣も良く巡り健康であるという事なんでしょうな〜と思います。


『ひまし油湿布』で調べると、癌や子宮筋腫に効いたとか色々書いてありますけど、病気になる過程、結果は人それぞれ違うので全ての人に絶対に効くとは言えないと思うけど、やっぱり古くから言われる様に「肝心要」が整えば、免疫力もあがり自己治癒力もあがるという事なのではないか?と思います。
「何が自分の免疫力を低下させたのか?」という事も考えて、自分の生き方を変えて行かないと病気って、何かをしただけでは治らないとは思うけども、
『心と身体』はやっぱりセットだから、免疫があがって氣が充実したら考え方や世界の見え方も変わるという事もあるし。
まぁ、なにより気持ちいいからね〜『ひまし油湿布』
続けてみようと思うさ〜


噂によると農薬バリバリの安もんひまし油を何ヶ月にも渡って使っても、全く何の効果もなかったって話も聞いたので、やってみたい方は是非、ケチケチせずに上等もん買って下さいな〜
して、ネットで調べると色んなやり方してる人(足首にやって冷え性を治したとか)いますから、参考にして楽しんでみて下さいな〜

ではでは、またねん。


(ひまし油してる時はこんな感じ〜)












   

どうなのよ????


今日は不思議な天気、不思議な空だった。
ぼ〜〜〜〜〜っと見ていたら激しい、空の変化に圧倒されてしまった。

昨日、「足利女児殺人事件」でえん罪の被害に遭われた菅谷さんの開放のニュースを散々観た。
17年という歳月を『殺人犯』として扱われた人生を、当事者はどう思っているんだろうか?
担当の元警部は「それでも自分は間違ってない」みたいな事をブログに(!)書いたとかで、炎上しちゃったらしいけど、、、、、
その前に、いくら退職してるからって自分が関わった事件の事をブログに書くってどうなの??
いいの、それ???


DNA鑑定の精査の低さを指摘し、菅谷さんの髪の毛を使って独自に鑑定し、DNAの不一致を指摘した弁護士が再審請求をしたが棄却され、無罪であるにも関わらず、その後12年もの長い時間を犯罪者として刑務所で過ごす事になった。
何故、棄却する必要があったのか?
何故、再審しなかったのか?
色んな事が言われていたけど、どれも人の人生を狂わせてまで守らないといけないものとは思えない、不正義な理由だと思う。

無罪となって自由になったからといって失われた17年は戻らない。
責任のとり様のない事をしたという自覚が本当に当事者達にはあるんだろうか????


それに、この17年の間に時効が成立してしまい、結局、本当の犯人がわからないままになってしまった被害者の家族はどうなるのか?と思う。
弁護士の指摘通り再審をし、菅谷さん以外に犯人がいる事を認めていれば時効が成立する前に真犯人が見つかっていた可能性だってあっただろうに。

彼らもまた、失われた17年となってしまったのではなかろうか?

カメラのフラッシュがバチバチとたかれ、「菅谷さん、良かったですね」と、記者が声をかける記者会見をどんな思いで観たんだろうか?

我が子を殺され、捕まった犯人はえん罪で、時効制度のお陰で再捜査もされず、結局本当の犯人はだれかも解らず、このまま裁かれる事もない。
この家族は何重もの苦しみを課せられている。
彼らは今どんな思いでいるんだろうか?

菅谷さんも、被害者家族も気の毒でならない。
2つの家族を苦しめ、傷つけ、悲しませた罪は本当に重いと思う。
「再捜査」をし、真犯人を逮捕して欲しいと切に願う。
それしか責任のとり様がないだろ?と思う。
人の人生を狂わせたんだから、それくらい死ぬ気でやって欲しいわ。
「正義のためだもん!!」とか言ってるおっさんも元法務大臣の権限利用して、ここでこそ正義貫いてもらえないもんかね、これ真剣!!

「富山のえん罪事件」「志布志事件」とえん罪事件も後をたたない。
えん罪を作り出した関係者、全員、裁かれてもいいじゃないの?
と思うのはわたくしだけでしょうか?

ところで、明日は、谷保の「かけこみ亭」でライブです〜
お時間あったらぜひぜひお越し下さいませ〜ヨロスク!!
ではでは、またねん。

   

ひろげよう 宇宙の夢よ〜

毎日しとしと雨が良く降りましたなぁ〜
おまけに昨日は寒かった。
早く夏にならんかなぁ〜〜〜〜〜〜〜


先日『一週間前から「脳死状態」と言われていた友人が亡くなりました』と友達からメールが来た。
そのご友人の死因は、旦那くんと同じ髄膜炎。
そこに「國貞さんは、やっぱり生きたくて自らこの世界にとどまる事を決めたんだと思う」と書いてあった。


『命』っていうのは、自ら選んでここに在るものだと思っているんだけど、「自分で選んでいるこの現実」を、そのまんま受け入れ生きて行くのは時々辛くて、残酷で、、、、、
だから人は『神様』という存在を作り出して、「この現実は」「この試練は」「この哀しみは」
『神が与えしもの』
と、そうやって誰かに預けてしまう事で、乗り越えられたり、回避出来たり、、、そんな事もあったのかもしれないな〜とふと思った。


でも、神様大好き、信仰心もあるけど、無宗教のうちは、神様が与えたものは「可能性」だと常々思っている。
見えざる偉大な存在が、「命のつらなり」というものすごいシステムを作りだした。
けど、その後、その命に与えたものは、この命の果てしない、その神様でさえも想像してなかった心の成長の様な気がする。
そして、それを楽しみに待っている様な気がする。


「成長って何よ?」と突っ込まれている気がするけど、うまく言えないけどその言葉しか見つからないんだな〜。

昔、長倉洋海さんの書いた著作で『鳥のように 川のように』というブラジルのインディオのクレナック族の若きリーダー「アユトン・クレナック」の事を書いた本があった。
インディオとして初めて国会議員になり、先住民が先住民の誇りを持ち、先祖から受け継いだ智慧をそのまま活かして生きれる社会づくりを討ったえた。
その彼の言葉の中に「色んなもの破壊し続けて開発し、その果てに宇宙へ行く事になんの意味があり、それを進化と呼ぶ必要があるのか?
言葉の通じ合わない隣の部族とさえも解り合えない我々の本当の進化とは、"解り合う事"なのではないか」(言葉ひとつ、ひとつは正しくないかも)
というのがあって、30代の初め、うちにとってこの言葉は衝撃だった。

『破壊よりも和解』
その言葉をうちは「人間の心の成長」と受け取った。

よく、「人間だけが戦争をし、地球を破滅に追いやる行動を起こしてるんだから人間がいなくなればいいんだ」という人がいるけど、それは違うとうちは思う。
この地球の命の歴史ってすんげ〜残酷だよ。
必要のなくなった種族は淘汰されるか、今いる種族の遺伝子の一部になるか、しか残っていない。
これだけ戦争やら殺戮やら繰り返してるんだのに、人間という種族が残っているって事は、まだやるべき事があるって事なんだとうちは思う。

この事は、あのダライラマ14世も言っていて、それを知ったうちは「きゃ〜うちってばスゴい!!」と自画自賛したのであった。
ま〜こりゃ〜ど〜でもいいんだけどね。


あれ?何が言いたかったんだっけ????


そうそう、今生きているって事は、そういう事なんだと思う。
生きて、神様やこの宇宙の夢に貢献する必要性があるんだと思う。
そのメンバーに自ら名乗りをあげてるんじゃないかと。

その「夢」ってのはやっぱり「和解」から始まる気がする。
愛されなかった自分、愛されなかった自分を愛さなかった自分自身との和解。
最初の一歩はそこなんじゃないかなぁ〜
そこが癒されて初めて、自ら選んでここに在る事を自身が受け入れる事が出来、地球の生き物メンバーズとして、地球に宇宙に貢献していると思える気がするからね〜


おぉ!!やっと晴れました!!
洗濯物を干して、ご飯食べて旦那くんに会いに行って来るかにゃ〜
ではでは、またね〜



(最近、ちょ〜お気に入りの発表会の写真
どうしたらデーターが小さく出来るか解らず、写真を携帯で撮ってみた。とほほ)