Archive for 2016年01月

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寒過ぎや〜〜〜しませんか?

というわけで、パンダねーさんとはるちゃんと3人で鍋を食べに行きました。
パンダねーさんおススメの塚田農場っていう所。
このお店、メンバーズカードが社員証みたいになってて来る度にスタンプが貯まって昇進するっていうシステムがあり、ねーさんはめでたく部長さんになられました。(笑)
その恩恵にあずかり、色々サービスして頂きました♡有り難う、パンダ部長。
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その後、3人で4月9日(土)のライブの打ち合わせ。
この日は旧暦三月三日 沖縄では『浜下り』と言って女性が家事や仕事から解放されて一日浜で遊ぶ日とされていました。
そこで、HAL&Panda、寿[kotobuki]、李政美、そしてゲストに石原敏恵さんで浜下りの宴をやろうという事になりました。
是非、来て下さいませ〜〜〜

『浜下り歌合戦』(はまうり うたがっせん)
4月9日(土)旧暦3月3日
下北沢 com.cafe音倉
18:30 開場 19:00開演 前売り3000円 当日3500円 +オーダー
出演 李政美 寿[kotobuki] HAL&Panda
ゲスト 石原敏恵(hula)


そして昨日は2月8日(月)旧正月元旦の”なびゆた”ライブのリハーサル
こちらもいい歌いろいろ増えて参りました〜
おしびなーの美味しい沖縄おでんを食べながら新しい年の始まりをお祝い致しましょう〜
投げ銭制ですのでふらり〜とお越し下さいませ〜

2月8日(月)旧正月元旦”なびゆた”投げ銭ライブ
中野あしびなー(中央・総武・東西線中野駅北口下車 昭和新道通り 03-3389-7810)
19時半~ なびゆた(ナビィ(寿[kotobuki])+上里ユタカ ゲスト華村灰太郎)

ではでは〜風邪が流行っているようですので皆様、お身体ご自愛下さいませ〜
ナビィ

   

ありがとうございました〜〜〜〜〜っ

1月20日の”昭和会”のデビューライブにお越し下さった皆様、共演者の皆様、タイフーンのブチさん、みっちゃんさん、そしてお手伝い下さった皆様、有り難うございました。
江口さん、小見さんとの初めてのジョイントでちょいと緊張しましたし、まだまだ本領発揮出来てない点は多々あったとは思いますが、最後の3曲は皆さん、大合唱とダンス大会になり楽しんで頂けたようで良かったです〜
プレゼントも沢山頂き、お祝いもして頂き有り難うございました!
松本さん、手作りのケーキを有り難うございました。美味しかったですよ〜♥
第二弾もやろうという話しになっておりますので次回の予定が決まったらまたお知らせしますので是非是非お越し下さいませ〜
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昭和の歌は本当に名曲が多いなぁ〜と改めて思いました。
私達の前に歌われたパンチョ・ス・ガワラさんやサキ&ユキさんは60年代〜80年代前半の歌が多かったと思いますが、私ら昭和会は70年代後半〜90年代の歌が中心となっていて、30年以上の日本の音楽史を歌ったわけですが、私らが歌った時代はそれまで歌謡曲が主流だった日本にフォーク、ロックの色が混ざり始め歌い手が作者という歌も増え音楽の幅が広がりましたが、依然として演歌やムード歌謡も健在!そんな良く言えば多種多様、悪く言えば節操のない色んなジャンルの歌がヒットした時代だったんだなぁと改めて感じました。
そう考えると私らって歌が豊かな時代、凄いいい時代に生まれたんだな〜と思います。
ゴダイゴと中森明菜さんが歌えなかったという心残りがあるので再チャレンジします!!


ところで最近、良く想うのですが他人に対して吐いたり語ったりした言葉を一番聞いているのは誰か?といえば、それは自分自身だなという事。
つぶやいた言葉が自分を奮い立たせる言葉になっていたらいいけど、そうじゃない事も多々ある気がします。

例えば激昂して『お前はバカか?』という言葉をよく口にしているとします。
例えばそう言いたくなる出来事を引き起こす相手が現れる度に言っているとします。
もしも相手が出来事が起こる度に替わっていたら、生涯に一度しかその言葉を耳にしないかもしれませんが、自分は頻繁にその言葉を口にしているわけだから、結局自分が一番『バカ』という言葉を聞いている、自分の脳や身体や心がその言葉を一番聞いているんだろうな〜と想います。
だから意図的に相手を傷つけてやろうとして口にした言葉も実は、自分自身を一番傷つけている事になるのではないかと思うのです。

去年たまたま読んだ雑誌のメキシコ人セラピストが書いたという文章の中に
「人は幼少期(0歳から6歳くらいまで)に繰り返し繰り返し大人達から聞いた言葉をインプットし自分自身という者の見方や世界との関わりがどのようなものであるかを想定するようになる。
やがて、壊れたテープのようにその言葉を今度は自分の中で自分が繰り返すようになり、その言葉の通りの人格となり、人間関係を作り出来事を積み重ね想定は限定となる。
もし今の自分に何らかの行き詰まりを感じるようなら、自分の中の繰り返し語られている言葉を特定し、その言葉が自分自身を語るに本当に相応しい言葉かを吟味し繰り返すのを止める努力をしてみましょう」というのがありました。
(ちょっと脚色ありかも)
それは所謂『トラウマ』というものについての説明だったのですが、言葉の威力というのは本当に凄ましいものなのだと再確認した文章でした。

その記事を読んで、主に自分に対する自分の言葉を注意して聞いていたら「どうせ」という言葉を頻繁に使っている事に気が付きました。
その言葉を発した時、自分はどんな気持ちがするか?身体はどう感じるか?を感じてみたら、こんな短い言葉だけど自分を傷つける威力はなかなかのものでした。
なんでこの言葉を言いたくなるのかを感じてみたら「な〜〜んだ、言う必要ないじゃん」と思って今は出なくなりました。
あ〜〜〜でも、時々出てるかも、、、(笑)
ホント、自分で自分を傷つける事のないように、要注意ですわね〜

ではでは、寒さの厳しいこの数日、皆様、お身体ご自愛下さいませ。
次のライブは『なびゆた』2月8日(月)中野あしびな〜
そして2月13日の旧正月ライブです。
是非、お越し下さいませ〜

   

ORION with hula

去年の旧正月ライブにゲストに参加してくれたとしえちゃんがお家を新築したお祝いの席で、お祝いに集まった生徒さんと一緒に1年ぶりにORIONをセッションをしました。
その時の動画を録画された方から許可を得て公開します〜
https://www.facebook.com/miki.hiratsuka/videos/o.852651238189267/944119182333442/?type=2&theater
リハなしぶっつけでやったのでお互いにちょっと「あれ?」ってなってる所もありますが、最後のダンサーの歌声や子供達の笑い声やハミングが美しい〜〜〜〜〜♡
是非、ご覧下さいませ!

としえちゃんとレオくんのお家は、去年の夏から、もちろん大工さんも関わってますけど二人と沢山の友人達の手によって愛情を込めて建てられたお家なので何だかも〜〜〜〜〜本当に気持ち良い空間でした。
でも、思い返してみたら今は一緒に暮らしてはいませんが、私の現在の住まいもダンナさんと暮らすために試行錯誤してリフォームしたお家だったなぁ〜とあの時の数ヶ月間と完成した時の喜びを思い出しまた改めてこのお家を愛おしく想いました。

明後日はいよいよ『昭和会』デビューでございます。
平成生まれも気にせず是非、お越し下さいませ〜〜
お待ちしております!!
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旧正月ライブリハーサル

でございました。
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本日は大熊さん&みわぞうさん そして京都に引っ越しした亮さん抜きでございましたが、なかなか良い感じでございますよ〜。
前売り予約がまだの方、是非是非ご予約宜しくお願い致します。
私とニーニーも今更!何故か今更の五郎丸スタイルでお待ちしておりまする〜〜〜〜〜

そして旧正月元旦2月8日(月)は中野あしびな〜で”なびゆた”の投げ銭ライブでございます。
19時半頃からゆるゆると。
高円寺 炎の居酒屋”抱瓶”のスーパーアルバイター華村灰太郎氏も出演します。
なびゆたはナビィと上里ユタカの二人のユニットでカバーばかりをやっております。
沖縄おでんとオリオンビールと共にお楽しみ下さいませ〜
中野あしびな〜
03-3389-7810
ふらりとお立ち寄り下さいませ〜

   

ピースボートの旅のお話その2

昨日1月11日はいつもライブに来て下さる松本さんのお宅で”いちゃりばーず”と岡村聡さんとウエチーノさんと一緒に恒例になりつつある新年会ライブでした。
普通のお宅でドラムセットも持ち込んでのライブというだけでもなかなかないと思いますが、松本夫妻の「みんなと楽しみたい」という想いの深さか、毎年「これでもか!!」ってくらいのご馳走三昧に加え昨日は鰤の解体ショーまで準備して下さいました。
毎年、ご馳走の仕込みやら買い出しやら本当にお疲れ様です、有り難うございます〜
関西からやって来れた参加者もましたが、出演者も参加者も相当楽しんだはずです。
感謝!!!
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(お誕生日の前祝いもして頂きました〜!有り難うございます♡)

ピースボートの旅のご報告、その続きです。
クリスマスのベトナムを出航して4日目早朝。
私達にとって最後の寄港地、シンガポールに到着しました。
シンガポールに近づくにつれ、タンカーや豪華客船などピースボートの船以外の色んな種類の船が急に増えて来ます。
シンガポールは国土は本当に小さいけれど、物、人の流れなど私が寄港した事のある他の港とは比べ物にならないくらい多く、激しく世界の中でとても重要な国なんだという事がよく判る光景だなと思います。
こんな小国でありながら、独立を保ち経済も安定し隣国との問題もなくやっていけているのにはどんな知恵があるんでしょうか?

バリに半年滞在した時、ヴィサの関係で二月に一度インドネシアから出国しなければならず一番安く行ける外国がシンガポールだったので2回も来たし乗り継ぎで寄ったりもしてるのでそれほど久しぶりではなかったけど、港に着くのは9年ぶり。
そして、やっぱり港の周りも開発が進んでいて地下鉄で「リトルインディア」まで行ったけれど、遠くに高層ビルが沢山見え昔とは随分変わっているように見えました。

リトルインディアの市場のフードコートにはマレー料理屋さんも沢山あって、マレー語とほぼ同じインドネシア語が通じるのでハイテンションでガンガン辛いものを頼みまくりましたが、同じ料理名であっても出て来てみると形状が全然違っていてびっくり!
でも、でも、美味しかったよぉおおおおおおおおおおお。
今すぐまた食べたいぃいいいいいいいいいいいいいいい。

ニーニーもわけの判らないマレー語(インドネシア語)の料理名を聞かされて私のおススメするままに注文し食べてましたけど「うんまい、うまい」を連呼し満足してくれたようで良かった~~~~
でも、有り難い事にニーニーは食品アレルギーも好き嫌いもなく食わず嫌いもなく何でも食べるそして、何でも食べたい人なので相当おかしなもんでもない限り大丈夫なんですけどね、、、、
屋台でマレー系のおじさん達と相席になったのですが、私達の料理を持って来てくれたおばちゃんが「この子、日本人だけどマレー語(インドネシア語なんだけどねー)が話せるのよ」と言った瞬間、めちゃめちゃフレンドリーになって「これ食べてごらん」とおじさんが食べている焼きそばのお皿を私達の前に差し出してくれました。
香港スタイルの焼きそばでちょっと頂いてみましたが、めちゃうま!!!
やっぱりアジアは美味しいものに溢れていていいなぁ~~~~~
市場に行っても色んな色に溢れていてアジアはやっぱり豊かなんだよ〜と再確認しました。
既に豊かなんだからこれ以上、自然を壊して有害なものを増やして『富』に様に見えるものを手に入れなくても既にある豊かさを享受したいよね、と思います。
がしかし、何故かリトルインディアに行ったのにカレーは食べなかった!
痛恨の極みです、、、、
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(滞在時間も少なく食べる事に夢中過ぎて写真がほぼナシでした)

船内のクルーは色んな国から来た人達が乗っていましたが、中でもインドネシア人、フィリピン人のクルーが多く、インドネシア人クルーとは沢山話しが出来て、有り難い事に毎日が無料インドネシア語会話レッスンのようでした。
でも、わたくし、インドネシアはバリ島しか知らずやっぱりジャカルタやソロ、スマトラなど別の島から来た人達よりはバリ人が一番話し易いし聞き取り易い。
改めて島によってアクセントや言い回しが全然違うんだな~と思い、インドネシアの広さを感じました。
そんな中、バリ人クルーの中でもまるで昔からの知り合いのような親しみを感じるような二人と出会いました。
時間がある時は二人が仕事をしているバーでコーヒーを飲み、色んな話をしお互いに日本語、インドネシア語を教え合い、バリの宗教、文化について教えてもらい、ゲラゲラ笑い合い短い時間だったけどすごくいい時間を過ごしたので別れの時は本当に寂しかった。
「またバリで会おうね」って約束したけど、彼らの船での仕事はまだまだ続くし、いつ会えるかな~。
3人でバリで遊んでる姿をイメージしつつ楽しみにしていよう。
それにしても、インドネシア人とフィリピン人っていうのはどうしてあんなに『人を楽しませる事で自分が楽しむ』という能力に長けているんでしょうかね~?
彼らといると本当に楽しいし、見習いたいところです。
そして、彼らは遠くから見るとほぼ同じ(失礼!!)に見えるので初めて会ったフィリピン人クルーにうっかりインドネシア語で挨拶してしまい「インドネシア人じゃないよ」と寂しそうな顔で言われる事もしばしば。
そして、唯一知っているタガログ語の「ありがとう」を口にするともの凄い笑顔と勢いでタガログ語で話しかけて来るのですが私が「ありがとう、しか知らないんだよ~」と言った時のもの凄い寂しそうな顔。
「ムキ~~~~~~何で私はタガログ語が話せないんだ~~~~~~!!」と自分を責めたくなりました(笑)
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船内での企画は寿[kotobuki]主催のものと私個人の主催のものとで、忙しく過ごしました。
12日間でライブは小さいのも入れて3回(+ベトナム) 「シェーナウの想い」上映会 「地球の迷い方~寿[kotobuki]流、旅の楽しみ方」洋上盆踊り大会で使う音源のレコーディング 
私主催の企画は「心の平和」と「インドネシア人クルーと話してみよう」という簡単なインドネシア語の講座をやり、だいたい1日に2つの公演、講座をやりました。
「心の平和」は一昨年くらいから実際に自分の身に起きた変化や学んだ事を言葉にして誰かに伝える事で自分が確認するという意味合いがあったような気がします。
本当はもっと丁寧に10回くらいに分けてやれたら良かったとは思うけれど、寄港した日は船内の企画はないので実質8日間という限られた時間の中でどう伝えたらいいのかをピースボートの寿[kotobuki]担当スタッフと結構な時間を割いて話をした事が私にとって凄く良かったな~と思いました。
大きなテーマとしては「『自分』の中の『自分を見る目』を変える」という事と「自分を許す」という2つ。
「自分を許す」というテーマの日は話している最中にも幾人かの方が泣いていらしたり、終わった後も「話しをしたい」と寄って来て、それぞれの想いを伝えて下さった方もいらして、「私の哀しみや痛みは私だけのものではない」という事を改めて感じました。
そして、もしそうならば私が痛みや哀しみから解放され自由になっていくという事は同時に多くの人もそうなっていくという事でもあるんだろうな~とも思いました。

今回も楽器を持参して乗船された方々のセッションライブもやりました。
『KTBK30』はサックス2人
『ORION』はフルートとギター
『もう愛しかない』はギター2人
shyのアニキがピースボートに乗船した時に作った『ありがとう』はウクレレ4人
『安里屋ユンタ』は三線を持って来た沖縄の青年と。
そして『我ったーネット』は船内カルチャースクールでサンバを教えているマーク先生とその講座を受講されている乗客の皆さんと総勢100名くらいのダンサーをゲストに、気が付けば観客全員総立ちで踊りまくってました。
凄かったなぁ~あれは。

船内は酔い防止のためかなり冷房が効いていて乾燥もしているし、デッキでライブすると潮風と排煙とでかなり喉には過酷な環境なのです。
今までの経験から今回も部屋には洗濯物を常にぶら下げ、寝る時は濡れたマスク着用、蓮根飴を舐め白湯を飲み続け、うがいをし、ツボを押し、レストランに行く度にオリーブオイルをもらって飲み、色んな事に気をつけてもそれでも最後は声が枯れ切ってしまいましたが、やり切った感は満載でしたし、本当に楽しかった~~~~~~~~~~
お世話になった皆々様、有り難うございました!
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(横浜から那覇まで建設親方こと真喜志好一さんも乗船。久しぶりに語らいました!)


最後に最初の寄港地の那覇の事を書きます。
初めて船で沖縄に上陸しました。
去年の7月に那覇・波の上ビーチから若狭港に大きな客船が停泊しているのが見えて「ほ~~~~~、あんなに大きな船が停泊出来る港が出来たんだね~」なんて思っていたら、まさか半年後に自分がその港に降り立つことになろうとは思いもしませんでした。
早朝の入港時は前日のライブの打ち上げ疲れ(笑)もあってスースー寝てしまっており感動の那覇港入港は経験出来ませんでした。
その後、夜(確か21時だったはず)の帰船リミットまでノープランで那覇、首里をぶらぶらし、いよいよ那覇から日本出国。
船が大きく動いて桟橋を離れた瞬間、名曲『別れの煙』が脳内BGMとしてヘヴィーローテーションし始めました。
この歌は移民で島を離れる子供を思って旅の安全を祈りつつも、別れの寂しさ、その親の心を歌ったものです。
デッキからは湾曲した沖縄本島の本部の辺り(と思う)まで続く灯りでキラキラと輝いて見えました。
少しずつ小さくなってゆく那覇の街の灯り、だんだん遠くなって島影が完全に見えなくなるまで1時間近くかかりました。
若狭から南部方面へ進む船から見える沖縄本島の形は鳥の翼のようで、そしてとても美しかった。
どういうわけか私は涙がボロボロ出て来て止まらなくなり猛烈な寂しさに襲われました。
一体何であんなに寂しくなったのか?全く判りませんが、昔の人達はこんな風に小さくなる島を愛でる様にいつまでも別れを惜しんでいたんだろうなと思いました。
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(若狭港のすぐ近くに”瀬長亀治郎記念館『不屈館』がありました。生まれて初めて”那覇”からの出国スタンプ!!)

那覇ではとても不思議な正に「呼ばれた!」的な事がありましたが、それが今だになんなのかがさっぱり判りませんので、またいつか。
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12月30日 シンガポール空港からベトナム・ホーチミン経由で早朝の成田に帰国しました。
新暦の寿[kotobuki]結成30年イヤーはこんな風に終わりました。
沢山の人達にお祝いして頂き、船内でも800人近い初めてお会いしたばかりの人達からお祝いして頂き、お目出度いこの1年を沢山の人達と賑やかで華やかに過ごさせて頂きましたが、最後の日はニーニーと二人に戻りました。
それも、とっても粋な神様のはからいのように感じました。
旧暦2015年が明けたら最後の旧正月ライブが待っています。
2015年、皆様、本当に有り難うございました。
そして2016年も何卒宜しくお願い致します。
ではでは、また。
ナビィ

   

お知らせ

1月20日の昭和会デビューイベントですが、お料理が持ち込み自由となりました。
ドリンクとコテコテのスナック的おつまみはタイフーンの方で用意して下さるそうです。
あの蘇える名曲をあなたと歌いたい!(笑)
是非お越しくださいませー
1/20(水)阿佐ヶ谷 山
新春 TAIFUUN PRESENTS
第一弾イベント決定‼
『青春カムバック‼昭和歌謡ショー』
open18:30/start19:30
charge¥1500
昭和会はタイフーンのイベントの打ち上げで結成された、小見雅春、江口優、ナビィの3人のユニットです。

   

ただいま〜♡

皆様 新暦正月明けましてお目出度うございます~。
2016年、皆様にとっても私にとっても佳き事の多い一年となりますように。
私は今年は地に足を付けてノビノビと、日々、幸せを感じる選択を丁寧にしながら地球の豊かな恵みを享受して、みんなで幸せになる道を築いて行きたいと思います。
そして、私達ひとりひとりが日々、平和を選択出来ますように。
今年も宜しくお願い致します!


12月17日に出発したピースボートの旅を終えて帰国しそのまま広島に帰省し先日、半月ぶりくらいに東京に戻って来ました。

ピースボートの旅は本当に楽しかった!!!!
今回はこの数年、自分の中で色々感じていた事をライブや講座を通して「人に伝える」というやり方で形にし、それをもう一度自分の目で見て感じて確認するというテーマがあったように思います。
やり切った後に残ったものは「あ~~~楽しかった」っていう爽快な想いでした。
そして、久しぶりに船から見る、空、海、月、太陽
「世界は何て美しいんだ~~~~~~~!!」と本当に思いますし、海も空も無限に広がっていてそれが絶え間なく目の前にあり続ける事の豊かさを味わえるし自分までがとてつもなく大きくなったような気持ちになります。
波に揺られながらの満月の日の月光浴なんて、、、、、至福でございますよ~
これは、船旅の大きな魅力かと思います。
最近、船旅が流行っている理由もよく解る気がしました。
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9年ぶりの乗船でしたが最初の寄港地、那覇以外は99年に初めてピースボートから水先案内人のお仕事を依頼されて乗船した時と全く同じ区間を旅しました。
16年ぶりに訪れた中国・アモイ、ベトナム・ダナンはビルが増え町がとっても綺麗になっていて、それぞれに物価もあがりそして「豊かになったんだなぁ、、、、」と感じる光景に沢山出会いました。

アモイは台湾の対岸にある福建省の街で、初めて行った時は山とお寺の多い沖縄って感じでしたが今回はビルが増え、道が広くなっていてシンガポールにそっくり!になってました。
けれど、中国の他の都市を知らないので何とも言えませんが、人の穏やかさ、気性の激しさを感じないのは昔のまんまでした。
そして、港では英語も何とか通じましたが、街に出たら全く通じない所も全然変わっておらず、笑えるくらいコミュニケーションをはかるのが難しかった。
ですが、いや、だからこそ?なのか、今回もバスに乗ろうとしたら運賃1元なのに小銭を持っていなかった我々は結局、無料で乗せて頂き、肉まん、汁無し麺を買ったらぴったりの小銭の持ち合わせがなく二店それぞれでマケて下さり、道に迷ったらわざわざ判る場所まで連れて行って下さり、、、、人様の親切が染入る旅でした。
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ベトナムでは交流会でライブをやらせて頂きましたが、日本人に会える事を楽しみにしているベトナムの受け入れ団体の方々が朝の6時から準備をして待っていて下さり、ライブでは日本人、ベトナム人が一体となって踊り、歌い、最後は私ら無視(笑)で輪になって手と手を繋ぎ合って踊っていましたけど、その皆の笑顔を見ていたら「ここで歌えて本当に良かったなぁ~~~~~~~~~~~~~~」とめちゃくちゃ嬉しくなりました。
本当に皆さん、良い笑顔でした。
日本を出発する前にライブに良く来て下さるベトナム語の堪能な”元さん”に予め歌詞をベトナム語に訳して頂き、それをプリントし交流会で配って頂いたので歌詞の内容は把握出来様子。
後からベトナム参加者の方が歌詞がいいと言っていたと聞き、またまた嬉しくなりました。
有り難うございました、元さん〜〜〜〜

ベトナムは以前は町中で簡単な英語がもっと通じたような記憶があるのですが、今回はタクシーの運転手ですら全然通じずコミュニケーションをはかるのが本当に大変でした。
午後からはライブの準備と本番なので自由行動が出来るのが11時から2時の3時間。
港から街までもまぁまぁ遠いので正味2時間しかないのに、銀行のランチ休憩の時間にあたってしまって両替もなかなか出来なかったり、短い時間を有効的に使えずアモイのように楽しめる心の余裕がなくちょっと苛ついてしまった。
11時から13時までがランチタイムらしいのですが、13時になったと同時に銀行に駆け込んで日本円から現地通貨かドルに両替が出来るかを尋ねたら「出来ます。けれど★*♡*★~~~~~~~」と、途中から何を言ってるのかが理解出来ず、英語にも聞こえなかったので「英語で話して下さい」と言ったら「英語です」と言われ、よ~~~~~~くよく話しを何度も繰り返し聞いたら「今、ドンも米ドルもお金がないので30分後にまた来て下さい」と言っていたのでした。
初め、銀行にお金がないという言葉を何やら難しい言葉で紙に書いてまで説明してくれたのですが、その単語を知らない私に仕舞いには「We don't have money for exchange」と子供英会話か?と思うような優しい言葉で説明してくれました。
が、銀行にお金がないって事が予想外の出来事過ぎてすぐに事の次第が理解出来ず、言葉も入って来ずで子供英会話さえも「はあっ?」って聞き返してしまった、、、、、
ガス料金の支払いに来た人達のおつりとか、どうすんのかな?

ですが、今まで旅をしてみて町中で英語が普通に誰にでも通じた国ってアイスランド、ケニア、ハワイ、アメリカ、イギリスだけで、チリ、タヒチ、エジプトなんて全てがボディーランゲージだったじゃない!と急に思い出し
「イカン!いつの間にか『英語は世界の共通語病』に毒されてる!」と猛烈に反省し、
「どうせ通じないならインドネシア語でいいじゃん!!」と思い、これはさすがに判るだろうという単語以外は(コーヒーとかバインミーとか)ず~~~~っとインドネシア語で話しました。
あれ?今書いてて思ったけど、どうせ通じないなら日本語で良かったんじゃない、、、、、、、、
アホ?わたし。
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その2につづく

   

明けましておめでとうございます

皆様
昨年中はお世話になりました。
今年も宜しくお願い致します〜
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