Archive for 2011年07月

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怖ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

部屋の床にこんなもんが、、、、、
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びっくりした。

何かと思ったら、干しておいたジャウックという踊りで使うズラだった。

ベランダに干していたんだが強風にあおられ、洗濯バサミを吹っ飛ばし部屋の床に飛んで来たらしい。
良かった、下の駐車場に落ちなくて、、、、


このズラ、付けるとなんだか売れないヒッピーの歌手みたいになる。
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おでこのゴムバンドが問題?


それがこの様に
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最終的にはこうなる。




ど〜〜〜〜〜ん。

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ヒッピーではなく、見慣れたジャウックさんに変身です。

それにしても耳の周りが痒い、このズラ付けると。

   

宣伝、またしても。

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阿佐ヶ谷バリ舞踊祭のチラシが出来ました。
8月6日のTarena Jaya Kembar"TOMOE"~タルナジャヤクンバール巴~(17時過ぎ)とTelek Jauk~テレックジャウック~(20時過ぎ)と2つの演目を踊ります〜
お時間ありましたら是非お越し下さいませ〜

Telek Jaukは、バリの宗教観と言いますか、哲学?人生?宇宙感?というべきなんでしょうか?

お寺のお祭りの奉納芸能でチャロナラン劇というのがあって、簡単に言うと聖なるものと悪との戦いを描いているんですが、『聖』『正』などいわゆるポジティブとされるエネルギーはその反対のエネルギー『悪』『邪』などマイナスと言われるものが無くては存在し得ない。
この宇宙は2極の異なるエネルギーによって出来ているので、そのエネルギーは反発し合う事はあっても、どちらか一方が勝ち、どちらかが消滅するという事はない、という考えに基づいています。
いわゆる「タオ」というやつですかね〜
バリへ行くと、白黒チェックの布を色んな所で見かけると思いますけど、あれもその宇宙観の現れの一つです。

Telek Jaukは、白い美女の仮面とされるTelekが作った清浄な地場に赤い魔物の仮面とされる Jaukが現れ、場を乱し最終的にTelek を怒らせ対峙しますが、追い払われてこの演目は終わり、そこから、長い長い戦いの物語『チャロナラン』へと突入します。

戦い と言ってはいるけど、Jaukはただ追い払われるだけです。



うちは、このTelekが大好きで、多分今までで一番沢山踊った踊りだと思うけれど、踊る度に何かしら小さな発見を繰り返す踊りで、何度踊っても飽きる事がなく、ますます好きになる踊りです。
今回は、Telekではなく魔物のJaukを踊らせてもらえる事になりました。


ずっと、Telek JaukのJaukを踊ってみたい〜〜〜〜と思って3月にこの踊りの基本を習って来てこんなに早くデビューの機会に恵まれるとは思ってなかったので、感謝してバリの師匠を想って、あの、クソ暑かった(熱かった?)レッスンを思い出してバリと共に阿佐ヶ谷の地で踊りたいと思います。


Tarena Jaya は本当にハイテンションな踊りで、初めてバリ島でこの踊りを観た時は、奏者と踊り手のあまりのハイテンションぶりに、びっくりして息が止まっておりました。

今ではバリ島全土で主流となっているガムランという楽器のスタイルはゴン・クビャールというものですが、多分、興味ない人も興味がちょっとある人も「鉄琴をトンカチで叩いてる音楽」くらいの認識か持てないと思いますが(うちも初めはそうだった!!)実は色んな種類のガムランがあるんですよ。

音階が5音のもの、7音のもの、主に儀礼で使われるもの、お葬式にしか使わないもの、その楽器の種類、スタイルも時代によって変化して来ました。

1930年代、優雅で気品に満ちた宮廷音楽が主流だった頃突然、シガラジャという北部の街で『ゴン・クビャール』という新しいガムランのスタイルが誕生しました。
『クビャール』というのは「閃光」という意味があり、その名の通り、ダイナミックでスピード感に溢れ、金属からキラキラした物体(?)がこぼれ落ちるかの様な音楽で、新しいもの好きのバリ人の間で瞬く間に流行り、現在は主流の楽器となりました。

そんな新しい潮流の始まりと共に『クビャール・レゴン』という2人で踊る30分を越える荒型(あらがた)の女性舞踊が生まれました。
それが、短縮されソロの舞踊として発展したものが『タルナ・ジャヤ』です。

荒型の女性舞踊は幾つもありますが、他に類を見ないダイナミックな動きに溢れたこの舞踊を、バリ人はとても好んでいる様に感じます。

『クビャール』という新しいスタイルが誕生し、「さぁ、この音楽に似合う踊りを作ろう」となった時、今までには無い誰も観た事もない簡単には真似の出来ない「すごい踊りを作ってやろう」という意気込みが、その当時のシガラジャの人達には溢れていたのではないか?と勝手に推測しています。

この踊りのルーツが生まれた時のバリ人の意気込みに想いを馳せると、そこには新しい芸能を生み出す喜び、楽しみ、そして、楽器が叩ける、踊りが踊れる、その喜びが在る様に感じます。

先日、初めてこの踊りをナタラジのライブで踊らせて頂き、ほんの少しですけど、バリ人のその楽しみ、喜びに触れられた様な気がしました。

こんなにきっつい踊りなのに、何で皆、この踊りが好きなんだろう?
漠然とあった疑問は、最後まで踊り切った時に何となく答えが見えた気がしました。

黄金の音の波に乗る。
蜜の様な、雨の様な、重くて軽くて弾ける様な地をうねる様な、あの不思議な金属音の一部にこの身体がなった時、何故人は踊るのか?何故音楽があるのか?何故歌うのか?
その壮大な問いの答えさえもが解る様な気がします。

それは遠い果ての事の様でで、この道はまだまだ始まったばかりと思うとクラっとしますけど、歩き続けていつかその果てに辿り着きたいな〜と思いますし、その果ての景色(感覚?)は自分はすでに知っていて自分の中にあるんだと信じているんだとも思います。


人は鳥の様に飛べなくても、踊りがある。
鳥の様にさえずる事が出来なくても歌がある。
肉体はここにあっても、想いはどこへでも自由に飛ばす事が出来る。
歌うこと、踊ることは、自由になる事。



8月6日は自分にとって、大好きでとっても意味深い踊りを2つも踊らせて頂きます。
今年の上半期の集大成!!
頑張りま〜〜〜〜〜〜〜す。