Archive for 2008年06月

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又しても

『Panda系』のお店発見



今度は接骨院だよ〜
早速パンダねーさんに写メールしてみた。が、返信なし、、、、、、寂しい〜

世のイメージとしてパンダは可愛いってのがあるんだろうが、本当は意外に獰猛なんだよね〜
なんだかんだゆ〜ても熊だもんな〜
そして、パンダって名前だけどネパール語で「竹を食べるもの」を意味する「ポンガ」に由来する、なる諸説があるらしい。
「ポンガ」と「パンダ」じゃ〜だいぶ違うと思うが、、、、
だって、「ん」しか同じじゃないもん。

そういえば、昔、真言宗のお寺で、日本、中国、韓国、チベットの「般若心経」を聴き比べるって会があったけど、ルーツが同じとは思えないくらい全然別モンでしたな〜
チベットで生まれて、その音を漢字に中国で直したものが日本と朝鮮半島に渡って〜って話だったけど、やっぱり「音」を聞き取った時点で大分違っていたんじゃないか?と勝手に推測する。

人は自分が話している言葉に近い音しか聞き取れないんじゃないかと思うが、きっとネパール人がパンダを見て「お〜竹を食べてるからポンガって名付けよう〜」と思って、ポンガ、ポンガって呼んでたのに、四川にいた(昔はチベット族だらけだったらしいが、、、というか、チベットだったと在日チベット人の友人は言っておる)人達がそれを聞き「お〜こいつはパンダと呼ばれているんだな〜パンダ〜こっちおいで〜」と、なってしまったんだはずな〜(見て来たかの様に言うなぁ)

でも、ポンガって可愛い気がする。
ポンガがいいはず!!
うち一人で広めようかな〜

   

遅れて来たマイブーム

今頃you tubeにハマっております。
いや〜バリダンスの映像いっぱいあるんだね〜
いんや〜お宝映像から、「こんなの世界中に公開しちゃっていいの??」と突っ込みたくなるアメリカ人の激ヤババリ舞踊まで、バリダンス好きにはたまらない〜〜〜〜〜
気が付くと2時間くらいあっという間で最近寝不足です。

すんげー気になってるのは、日本人留学生らしき人が、バリの先生からご指導受けてる映像があるんだけど、これって本人知ってるのだろうか????

んで、色々みてるうちにこんな映像も発見。
http://jp.youtube.com/watch?v=QTcUbkOTEyQ&feature=related


バリにな〜〜〜〜〜んの興味もない人にとっては苦痛以外の何ものでもないかもしれないが、2分10秒過ぎたあたりがめっちゃ笑える。
すんごい可愛らしいのでそこまで我慢して観てくれ〜
この方々のユニット名『Genjek Samurai』も笑えるが、未だ活動しているんだろうか??

『ゲンジェ~genjek~』っていうのはバリの歌曲。
お祝いの席とか、まぁ、楽しい場で盛り上がって『んじゃ〜ゲンジェ歌うか!!』ってなもんですが、バリと言えば、ガムラン、ケチャ、舞踊が有名で、うちの様なあんまり深くバリを知らない者なんぞは、ナマで聞いた事のないジャンルでございます。
でも、やっぱり「歌う」となるとバリ人ってば、ケチャの要素が入ってしまうのね〜

   

終わった、、、、、、、

木曜日のリハーサルも含めたら5日連続歌いまくりでした。
終わったよ〜全てが終わった。

金曜日は練馬区の教職員組合の集いで歌わせて頂きましたが、職員の方々の芸達者ぶりに驚愕!!
素晴らしい〜〜〜
皆様ほんとうにお疲れさまでした。
色々とお気遣いを頂き、おまけにくじの景品までかっちり頂き、すいません〜有り難うございました。

土曜日はカフェスローでのキャンドルナイト。
昔、金城吉春にーにーから薦められて読んだ本『木を植えましょう』の著者、正木さんとのトークとライブ。
正木さんの言葉にあった『環境は自分そのもの』って言葉は改めて噛み締めたい言葉です。
新しくなったカフェスローはとっても素敵で、声が本当によく響きます。
また歌いに行きたいなあ〜
前より国分寺駅に近くなったので興味のある方は是非行ってみて下さいな〜
スタッフの皆様、正木さん、いいご縁を有り難う〜お疲れさまでした〜

キャンドルライトとなまけくん。ラブリ〜

して日曜日は上野にてピースミュージックフェスタに出演しました。
心配していた雨はやはり降りましたね〜
あの雨の中お越し下さったお客様方本当に有り難うございました。
是非是非、近しい人達に辺野古の事、高江の事、広めて下さい。
癒しの島・沖縄の現状を。

沖縄からの主催者、スタッフ、出演を兼ねた皆々様、辺野古、高江からの報告隊の皆様、音響、照明の皆様、本当にお疲れさまでした。有り難うございました。
終了後の片付けを1時間強でやってのけた皆様!!すごいです。
本当にお疲れさまでした〜
して、何よりも、あの雨の中、ずぶ濡れになりながら働いてくれたボランティアスタッフの皆々さま。
本当に有り難うございました。
あなた達がいなけりゃ〜受付も物販も、いや、コンサートそのものが成り立ちませんでした。
朝の設営から晩の怒濤の片付けまで本当にお疲れさまでした。
心から感謝しています〜〜〜〜〜
風邪なんぞひいてないですかね〜
よく休んで下さいね〜

あ〜でも、ひとつがっくり事件簿が。
某ミュージシャン、九時完全退出でボランティアスタッフが必死になって楽屋の片付けしてるのに、そこに次から次へと楽屋に入って来て酒飲んで、その缶や瓶を床に転がしてくのは本当にどうかと思ったな〜
うちが嫌みったらしく「この缶捨てていいですか?」って聞いたら「入ってなかったらいいよ」って、、、あきらかにうちよりも年がいってそうなミュージシャン、、、、、
ゴミくらい自分でどうにかしようよ、大人なんだから。
いくらライブが良くても、こういうのはがっくりするな〜

打ち上げ会場に着いたら、何故かウダちゃんひとり、、、、、

して、昨日は東中野の『ポレポレ座』で映画『ひめゆり』のイベント
トークとライブでした。
開場した途端に大粒の雨。
にも関わらず、大入り満員でした。ご来場下さった皆様有り難うございました。

映画の中でも体験を語っておられる与那覇百子さんのお話は胸に詰まり、一番最後に歌った『継いでゆくもの』は最後は泣いて歌えなくなってしまいました。
与那覇さんは6月21日、軍からの解散命令が出た後、ひめゆりの仲間8人で戦火の中を逃げる中、7人は「早く死にたい、早く死にたい」といい続けるけど、彼女だけは「どうせ殺されるにしても、殺されるその瞬間まで生き続けたい」と思っていた、という話をしてくれました。

捕虜になるくらいなら自決しろ、と教育された時代の中で「生き続けたい」と思える心、それは自身の「命の叫び」だと思うけど、それを聞き取れる、受け取れる事は素晴らしいと思うし、だから、戦火の中を生き抜けたんだと思う。
でも、それは今、この日常にだって言える事。
自分自身の本当の声を聞く事、それはどんな時代にだって大切な事だと思う。
与那覇さん、柴田監督、スタッフの皆様、伊藤さん、宮沢さん、有り難うございました。
お疲れさまでした。

夜は阿佐ヶ谷のロフトAで「慰霊の日イベント 琉球魂」に出演。
今回は新宿、吉祥寺の3店舗同時開催。
阿佐ヶ谷では、シャイのアニキ、まさゆきにーにー、みーつーにーにーの『アメリカだった沖縄』のトークもあり、充実の内容だったのでは?と自負しています。
お越し下さった皆様。有り難うございました。
他店の出演者の皆々様、お店のスタッフの皆様、お疲れさまでした〜

こんな風に過ぎた怒濤の5日間。
楽しかったな〜
やっぱりうちはライブがないと生きて行けない〜〜〜〜〜〜〜
夏はライブてんこ盛り!!
来週は Malcoの宗くんと初共演。
楽しみざんす〜

ではでは、お見舞いに行って来るだよ〜〜〜〜〜

   

素敵だ!!



電気グルーブの新しいアルバムのジャケらしい。
素敵です。
きっとメイクは一人3時間くらいかかっていそうな気がする。

今日は22日のライブのリハだった。
バンド4人編成、楽しい。

うちは、洋楽をほっとんど知らなくて、コピーもU2とかニーニーの希望でクイーンの『We Are the Champions』とかジミヘン数曲、ビートルズの後期の曲、数曲しかした事がないので英語のうたも全然歌えず、イベントとかでセッションする時なんぞは本当に困る。
さすがに寿[kotobuki]が出る様なイベントで、『ディープパープルやりましょう』とかないけど、ボブマーリィの「One Love」はやったな〜
その時は無理矢理「十九の春」をねじ込んでその場をしのいだっけな〜(そう言えばこの間の『くるしゅロック』もそうだったな〜)

でも、ジミヘンのやってたバンドとかレッドツェペリンとかシン・リジィとか、ハードなのに妙な軽さ、自由さがあるバンドが大大大好き。
最近はやっぱりツェペリンがすんげ〜〜〜な〜と再確認。
して、寿[kotobuki]4人編成、スリーピースはそんな音に近づきつつある気がするよ〜ちゅうか、そうなってる!!!と自負しています。
是非是非、そんな音を聴きに来て下さいまし!!

ところで、昨日は『ちむ屋』で三線教室の日でした。
終わって『海ぶどうと夏野菜のサラダ』食べたら本当に美味しかったので宣伝します〜
いっこネーネーの気まぐれ旬の料理シリーズなんで、飽きたらなくなるメニューです。
スィートチリソースドレッシングがナイスです。
写真では美味しさが伝わらない!!是非お店でウサガミソーレ

   

なんだかな〜

秋葉原の事件を模倣する事件が相次いでるらしい、、、、
なんだかなぁ〜

人を殺す理由になんかなってないよ!!とあの事件を起こすまでの犯人の言動をニュースやワイドショーとかで見るたびにハラ立っていたんだけど、でも、彼を蝕んでいたあの強烈な「寂しさ」は痛々しくはある。

皆、人それぞれ寂しさは感じて生きているし、どうしょうもない孤独感に取り憑かれる時もあるだろうけれど、彼のあの「一生このまんま、こんな風に寂しいまんまだ」って、あの思いこみはどこから来ていたんだろうな〜

「友達がいれば、彼女がいれば」ってブログに書いてたらしいけど、いても多分この人孤独だっただろうと思う。
一人でいる孤独よりももっと苦しい「人といても寂しい」っていう孤独を味わっていただろうなと推測する。

「楽しい事を発見」する事よりも重箱の隅を突く様に「楽しめない事」を探していたんじゃないかな〜
「楽しみを探す」っていう様な、こういう心の訓練の重要さは学校では習わないし、ましてや親が「楽しまない」タイプで、目の前の事に対して、いちいち悲観にくれたり、文句三昧だったり、そんな中にどっぷり漬かって生きていたら、「そんな自分の心の目の向け方にも問題があるよな〜」とはなかなか思えないだろうとは思う。

結局、自分の人生の主役は自分自身でしかないと思う。
それを忘れて、自身の身の上に起きてる事は、まるで悪魔が操ってでもいるかの様に思ってしまうと、こんな事になる様な気がする。
現実は変わらなくても自分の見方が変わることで、自分の気持ちは変わるはずなのによ〜
それを選ぶのは結局自分自身だし、人生はその選択、チャンネルの切り替えの繰り返しの様に思う。
この事件を通して、改めてその事を確認させられて感じがする。
何かひとつでも学ばないと、殺される理由もなく殺された人達の魂が浮かばれない様な気がしてならないよ。

ごろっと話題は変わるけど、今度の日曜日は「ピースミュージックフェスタ 辺野古」でございます。
オープニングに、ソウルのひでぼーと一緒に登川誠仁さんの「豊節」を歌う事になり練習しておりますが、友人にいただいた音源の中にライブのテイクがあり、うちの大好きなドラマー仲本興次さんとがジョイントしており、しびれまくりの大興奮で毎日聴いています。
仲本さんは、照屋林助さんの「マーニンネーラン(どこにもない)バンド」のメンバーだった人で、そのドラムテクニックは、なんというのか、テーゲー奏法というか、とにかく、ゆるい。
ゆるいって言ってもリズムが不正確とかそういうのじゃ〜ない。
リズムは性格なんだけど、あれは、言葉では表現できないね〜
まさにマーニンネーランです。
しびれる〜〜〜〜ぅ

22日は仲本さんは照屋正雄さんと共に出演だったはじ。
サインもらおうかな〜
皆様も聴きに来て〜〜〜〜〜〜〜

他も豪華メンバーよん。
詳細はライブスケジュールをご覧下さい。

元住吉の商店街、カメラ屋さんの看板に描かれた犬(多分)ラムちゃん

ラムちゃん、アップ

写真と本文は関係ないっす。すまんのぉ〜

   

今日の奈良大介。

今日は元住吉のパワーズ2にて『くるしゅロック(黒潮ロック』という奄美系イベントに出演しました。
楽しかったなぁ〜
帰りにお店から棒付きキャンディーをもらいました。
何で付けたか判らないすんごい青色の、なに味かわからないキャンディーをなめた時の、奈良大介@まぶりの舌の色と顔のご様子をお楽しみ下さいませ。



今日はもうドツカレン子なので、寝ます。おやすみなさいませ〜

   

うぅう〜む

今日は秋にやるかもしれない連続講座の打ち合わせに某女子大に行きました。
行きはみーつーニーニーと駅から歩きましたが、案外距離があり、帰りは学校から駅までバスで帰りました。途中、女子小学生の集団がわらわらのと、乗って参りました。


皆、春に小学生になったばっかりなのかなぁ〜
すんごく可愛らしかったけど、けど、、、、、
お子達はsuicaをカード替わりにして遊んでいたんですけど、始めは「牛肉〜牛肉〜」と歌いながら皆のカードを集めたり、配ったりしていましたが、その内誰かが「にんにく、にんにく」とか言い始めて採用され、その後「かっぱえびせん」とか、「みかん」とか、だんだんと歌が変化して来たんだけど、ひとりの子が「○ン○ンブラブラ」と言いだした。
あいえ〜な〜 バスの中ではやめようね〜
最初は皆、気が付かなかったのか、採用されなかったんだけど、執拗に「○ン○ンブラブラ」と言い続けたら子供ら大爆笑。
「○ン○ンブラブラ」
「ぎゃははは〜」
「○ン○ンブラブラ」
「ぎゃははは〜」
駅前のバス停に着くまで、そして着いて降りてからも延々とそれを繰り返していました。
なんかさ〜もうおばちゃんの感じだったなぁ〜「ぎゃははは〜」が、、、、、、

   

日々のつぶやき

旦那の手術が終わって、安心したのか、ここ2日間毎日爆睡10時間。
手術前の転院から始まって毎日4時間くらいしか寝てなかったのでそれを取り戻そうとしてるのかもにゃ〜
おまけに今朝はいい天気だからたまった洗濯物を干したり、植木のお世話したり久々に自分の時間がある〜って感じがするよ〜

頭蓋骨を入れたからってそうすぐに良くなるわけじゃ〜ないかもしれないけど、骨がない=不安が山盛り だったから、術後「問題ありません」って医者から言われた時は、旦那母と肩を抱き合って泣いてしまったわい。
ここまでたどり着くのに半年、長かった様な短かった様な、、、、、
でも、本当に母も父も(うちの両親もだけども)心の安らぐ事がない半年だっただろうな〜と思うとひとつの峠を越えた事が本当に嬉しいし、少しは安心出来るのではないかと思う。
うちも同じだしね。

旦那の意識しているとしていないとに関わらず、彼は本当に全身全霊で再生に向かって頑張っているよ。
時々、リハビリを真面目にやらない姿をみるとイライラして「こんにゃろ〜」と思うけど、心を少しその場から離して見ていると、前に進むしかない時の流れにちゃんと乗っかっているんだな、この人はと思う。

きっと病気の人は皆そうだと思うけど、元には戻れなくなった身体、自身を嘆き、悲しみ、抵抗したり絶望したりしているんだと思うけど、でも、誰もがその人なりに懸命に壁を乗り越えようとしているんだろうなと思う。
家族は一番近しい当事者だけども、それでも本人ではないから正直言って何も出来ないに等しい。
家族が変わってあげる事は出来ない。ただ側でその「乗り越えようとする姿」をみつめている事しか出来ないと思う。

彼の状況を側でみる日々の中で思う事は、「病気を克服する事は彼自身の問題である」という事と、「この事を通して私に与えられた課題がある」という事。
縁あって夫婦になって、同じ状況を通して個々の乗り越えるべき問題を同じ時間を過ごしながらこなしている感があります。

人にはそれぞれの生きるテーマがあり、そのテーマを生き切るためにベストな状況、人選、を選んでお互いが相手を必要として出会っているという気がする。
家族でも、夫婦でも、友達でも、苦手な人でも。

現状がどんなに不条理でも、その状況は自身が選んだテーマにそった、その時の自身にとってベストな状況にいるんではないか?と思うし、それを理解した時に現状は変わり始めて、その人にとっての本当の本当にベストな状況に移動する様な気がする。

旦那の最初の手術が終わってリハビリ病院に転院したあたりから、うちはとにかく治って欲しい、治ってもらわにゃ〜困る!!と思って、ネットや本を調べまくり、必死になっていたけれど、うちが必死になればなるほど、旦那の抵抗がすごくて、それにまた傷ついたりして、けっこう辛かったのだが、ある日「自分のやってる事は相手を変えようとしている行為なんじゃないか?」と思って、立ち止まってみた。

治って欲しいという気持ちがある事は当然の事なんだけど、、、、、、

自分自身がこの現状が不安で不安で、受け入れられないから「現状を変えてくれ!!=治って欲しい」って事なんだったら違うよな〜と思ったのだった。
テーマは『愛と信頼』と言いながら、やってる事がちょいとズレてないかえ?

ちょっと冷静になって、「まず彼が何をうちに求めているかが、あんた判ってるの?」と自問してみたら、なんと!!な〜〜〜〜〜〜〜んも答えが出て来なかった!!が〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
なので、自分から彼に何かをするって事を先ずやめてみたら、彼がうちに求めてる事のひとつは「ただ側に座っている事」って事が判った。
それに気が付いた時は、本当に泣けて泣けて仕方がなかった。
彼はたったそれだけの事を求めていたのになぁ〜
何でたったそれだけの事に気が付いてなかったのなぁ〜
自分のアホさ加減にも泣けた。

アホな自分も受け止めて前に進むしかないので、とにかく、何もせず、彼が「もういい」と言うまで側にいる事にしてみた。
そうしたら、停滞していた状況がぐわんと流れ始めた。
手術があれよあれよという間に決まり、悩んでいたリハビリ期終了後どうするか?という事を相談にのってもらえるリハビリドクターを紹介してもらい、会って相談にのってもらえたり、、、手術がうまく行ったのは言わずもがな。
確実に「流れが変わった」と思える状況になって来た。

この一件はけっこうな衝撃というか、でっかい学びであったな〜と思う。
でも、今までの人生を振り返ってみると『こんなに愛してるのに何でわかってくれないの?』みたいな甘いオブラートに包みながらも相手を変えようとして失敗した事は一度や二度ならず、、、、
「うぉ〜〜〜〜〜苦い思い出っすよぉおおおおお」とお風呂入りながら赤面してました。
あんまりにもうちが気が付かない、学ばないのでついにこんな大事になってしまったんだな〜
でも、もう判ったんだから今後は気をつける様にね〜、へ〜〜〜〜〜〜い。

うちの最近の日々はこんな感じです、みなさんはどうですか?
どんな毎日を過ごしていますか?
山あり、谷ありでも、時は確実に前へ前へと進んでいます。
過去の自分、未来の自分と語り合いながら一日、一日を自分の足で歩いて参りましょう。
お互いに。
ではでは、長くなったけど、読んでくれて有り難う〜


旦那父産 空豆 で作った「空豆ご飯」 元気の素です、有り難う〜父!!

   

五反田の朝

皆様、お陰様で昨日の旦那の手術は無事終わりました。
人工骨も巧くはまり、出血などもなく何個目かの峠を越えました。
ご心配下さった方々、メールを頂き本当に有り難うございました。
温かい言葉に励まされていますよぉ〜ほんとうに感謝です。

手術の後は五反田『結いま〜る』でライブ。
お越し下さった皆々様、本当に有り難うございました!!気持ち良くうたいまくりました!!

が、なんっつても朝6時起きだったもんで、ライブ中は全然感じてなかったけど、ライブが終わったら疲れがどっと、まるでおんぶオバケの様に背中にのしかかって来ました。
終電間近になって「あぁ、、、今から電車に乗って帰って、お風呂入って、また明日の朝7時起き、、、、」と思うと、早よ〜帰りゃいいものを、俄然ダウナーになり帰る気0%に。
結局、結いまーるの悦子ママのお家に泊めてもらいました。

いや〜いいね〜布団もひいてもらってメイク落として眠るだけ!!
サイコ〜有り難う〜悦子ネーネー
して、五反田の朝ってすげ〜な〜
飲み屋が朝7時とか8時までやってるよ。
駅から1分くらいの五反田一番街、そこはまるで那覇市栄町。
「お〜今うちは栄町を歩いてる」そんな妄想で幸せになった五反田の朝でした。



   

久々にやっちゃったよ〜

今日は『ちむ屋』の三線サークル『島唄くわっちー』の日。
帰りに『あしびな〜』に用事があって寄ったら、そのまま店主、金城吉春氏を含む4人と長話をしてしまい、帰宅したら午前3時をとっくに過ぎていた。
久々の朝帰りだよ〜
ただいまお風呂が湧くのを待っています。

して、吉春さんとは久々に色々語りあったけど、 この人は本当にぶれない人だな〜とつくづく感心。

初めて人前で沖縄民謡を唄い始めた頃、バイト先で出会うウチナーンチュのほとんどから「なんでナイチャーのあんたが民謡唄うわけ?」とか「やっぱりナイチャーの唄なんて全然良くない」と批判されて自信もなくなり、続けるべきか悩んでいた。
そんな折りに吉春さんに出会った。
悩みをほろっと打ち明けると「唄は誰かが唄ってくれないと唄にはならないからさ〜唄いたいなら唄えばいいさ〜続けてみたら〜」と軽〜く返された。
けど、その一言ですんごく軽くなったし、焦らずゆっくりやろう、と思える様になった。
だから、続けるきっかけを作ったくれた恩人でもある。
その頃の事や「あしびな〜」が出来たばかりの頃や、懐かしい話も沢山出て、ついついこんな時間まで話し込んでしまった〜
でも、いいのさ〜楽しかったから。

ところで、旦那は今まで脳圧を下げるために抜いていた左頭蓋骨の一部を入れる事になり、1月に手術をした病院に昨日から転院した。
手術はあさって、うまく行きます様に。



空の下の新宿、再び。

★全てがベストのタイミングで起こり、ベストの方向に向かって動いているのさ〜