Archive for 2002年07月

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週刊「ナビィ、の部屋」第22号

アトピーが出た!!
 5年振りくらいに指に出た。

 うーーーーーん、やっぱり冬に夜遊びし過ぎたのがたたったのか??

 とりあえず、「強力W」を飲んだり、肌の組織を再生するっていうサプリメントを飲んだりしてみたが、一向に治らない。

 お酒も飲まず、アレルギーを起こしそうなものも食べない様にしてみたが、治らない。

 サプリメント等を飲んでも治らない、ってのは多分飲んでも吸収されてないんだと思うんだよね。

 きっと胃腸の動きが鈍くなってるんだはず。そーだはず、うちってばえら〜〜〜〜い

 そこで、思い付いた。

 「断食!!」

 東京でやるのは厳しそうだから那覇の自宅で挑戦してみよう。

 「断食」って言っても、何日もやるのは、こんながちまやー(食いしん坊)のナビィにやり遂げれるはずがない。

 だから『一日断食』ってのをやってみるか!!。

 そう計画して乗った那覇行きの飛行機の中で読んだ雑誌に、なんともタイムリーに『一日断食のススメ』ってのがあって、読んでくと、ますます「やった方がいいはず」って思った。

 胃腸だけでなく、肝臓、すい臓、脾臓など、臓器を休ませるためにも一日なんにも食べないってのはいいらしいよ。

注意すべき点もちゃんとメモして、さっそく準備開始〜〜〜〜

 うりひゃーーーーって意気込んでみても口に出来るのはミネラルウォーターと野菜ジュースだけ。とりあえずダイナハで、ペットボトルのを購入。

 この二つだったらいくら飲んでもいいらしい、、、でもなぁ〜〜〜〜〜

 オレンジのと、透明のと、、、ただの二色の水分やし、、、、

 なんだか心細いなぁ〜〜〜〜。

 翌日8時に起きて断食開始。

 このためにかなり分厚い本を持って行ったけど、なんだか頭が働かない。

 血が脳に行かないっていうかさ、、、読めないわけさ、、

 あと、どうやら「食べてない」っていう身体的な事実より、「食べちゃーいけない」っていう精神的な事実がきつくて、だんだん「あ〜明日になったら何食べようかなぁ〜」とかさ、食べる事ばっかり考え始めて切なくなって来るんだよね、、、トホホ、、、

 「こりゃー断食してる事を忘れるのが一番!!」ってもどうすりゃーいいのさ?????

 取り合えず読んでるモノが悪いのかも?と思って、散歩がてらにマンガを買いに出掛けた。

 いや〜沖縄っていいよねぇ、、、、

 美しい花、舞遊ぶ蝶の群れ、梅雨の終わりだからなのか?葉っぱはツヤツヤの緑だよ。

 通り過ぎる人の家から民謡が聞こえてきたりさ〜

 はぁ〜〜〜極楽〜〜〜

 この散歩のお陰でかなり気持ちが切り替わって、マンガと新しいアイテム『充実野菜ゴーヤー味』をゲット!!して、

 「こんな事やりたいなぁ〜」とか、これからの楽しい事考えたり、それをイメージして絵を書いたり、ハナ歌にしたり、、、

 そんな風にしてたら、気が付いたら、夕方5時!!

夕方も散歩して、身体の中がきれいになってくのをイメージしつつ、11時就寝。

 思ったより、あっという間の一日だったよ。

 食べなくても大丈夫じゃん!!!それはさ、けっこう大発見だったてば!!

 他の人にとっては大した事ないのかもしれないけどもさ、、、

 なんていうか、食べる事以外にも習慣だからってやってる事や、「こうしなきゃーいけないんだ」って思い込んでる事を、あえて休んでみる、やめてみる、っていうのいいかもね。

 アトピーはどうなったかっていうと、なんと治って来たよ。

 ガサガサだった皮膚がツルツルになって来た〜〜〜。わ〜〜〜〜〜〜〜い!!

 おススメよ〜〜〜〜〜〜ん。

 ではまた、




   

週刊「ナビィ、の部屋」第21号

『La La La Song』こと「我ったーネット」を熱唱中
『La La La Song』こと「我ったーネット」を熱唱中
 5月の終わり、私のお願いのひとつが叶いました。

 ラミとケレンが沖縄に来たのだ。

 うわーーーーーすげーぞーーー

 「何で?』と聞かれて、考えれば色んな理由があるけれど、本当の所は解らない。

 でも私は彼らを沖縄に連れて行きたかったし、沖縄を知って、うちなーんちゅに出会って欲しかった。

 そして沖縄にも、うちなーんちゅにも、彼らを知って欲しかった。

 「いつかそんな日が来るといいなぁー」って思ってた。

 その願いは叶って、彼はやって来た。

 そして、私が思う以上のいい出会いをして帰って行ったよ。

 今回改めて「うちなーんちゅ、最高!!」って思った。

 那覇の自衛隊駐屯地内の土地が返還された夫婦が、その土地を花園にする、っていって沢山の植物を植えてるの。

 『ちゅらさ(清らか、美しいの意)ガーデン』って言う名前。

 そこに黒木(三線の棹になる木)の苗を2本。それぞれ『シャロームの木』『サラームの木』って名付けてラミ、ケレンに植樹してもらったの。

 それを三線を造れるくらい大きく育てて、三線を造って、それをイスラエル、パレスチナに送ろう、って

 でも、棹が出来る様な木になるまでに、30年くらい。

 棹にしたら10年くらい木を寝かせて、まともな三線造る、となったら40年はかかるわけ。

 それは、彼らとの出会いを、この瞬間だけにとどめないで、この先、それこそ40年、50年先までつなげよう、って思ってるって事なんだな、って思うの。

泉崎の台湾料理店にて。2002年も「にーにー」は『ぷー』 どうぞヨロシク
泉崎の台湾料理店にて。2002年も「にーにー」は『ぷー』 どうぞヨロシク
シャロームの木,サラームの木。まだ細い
シャロームの木,サラームの木。まだ細い
 私が「彼らを沖縄に連れて行きたいから協力して!!」ってお願いしたのは、なんと彼らが来る10日くらい前。

 それから資料送ったり、協力してくれる人を募ったり、、、色んな事があって正式に彼らを沖縄へ、ってなったのは、沖縄講演会の一週間前だった。

 この三線プロジェクトを考え付いた朝男さんは、「おととい思い付いた」って言ってた。

 きっと常日頃から、こんな風に「人をもてなす事」や「出会う事の喜びを形にして残す事」を考えてるに違いない。

 那覇での講演会の日の事。講演終了後、誰もそんな事お願いしてないのに、ラミ、ケレンへのお土産を持って来てる人がいっぱいいて、

 その中に「土地闘争」をやってるおじぃがいて、自分達が使ってたゼッケンとハチマキを持って来てた。

 そのゼッケンとハチマキに書いてある文字の意味を聞かされた時のラミ、ケレンの顔は、なんとも言えない笑顔だった。

 おじぃは「土地は命やさ」って言ってた。

 私はなんかもーーーー涙が込み上げて来た。

『痛みを知った人達は、何処までもやさしくて』

『光り』の歌詞を思い出す事が何度もあったよ。

 ラミは「沖縄はぼくの第二のふるさとだ」って言ってた。

 うちなーんちゅでもないのに私は、彼がそう言ってくれる事を本当に誇らしく思った。

 6月になって那覇に帰った時、朝男さん達と『ちゅらさガーデン』に夕方の水やりに行った。

 二つの黒木は新しい葉が出てた。

 40年後、世界はどうなってるんだろう???

 おばぁになった私は、彼らに三線を渡しにゆけるだろうか???

 生きて幸せに暮らす彼らの元に『ちゅらさ三線』を届けにゆきたい。

 それが私の新しい夢。

 んじゃーまたね〜〜〜〜